大日如来(上村・新野山形)

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 牛が病死すると、万人講と言ってみんなで少しづつ金を出し合って供養を行う。またその金の一部を残し次の牛の購入代金の足しにする習わしはどの村でも行われた。
 農家では「牛は主人の身代わり」とも言われて、死んだ牛が家の災難を背負っていったという意識が強かった。死んだ牛の供養のために村では、馬頭観音や大日如来の像や文字を刻んだ石碑を村境などに建て、牛の供養や安全を祈願した。
 村の大日様・大日如来をもって牛の守り本尊とする習わしは、岡山・鳥取・島根の一部の地方に限られた信仰と言われており、牛は農家の経済にとって重要な存在でどこの家でも俗に「内厩」と言って母屋の内に牛舎を設け、家族同様の扱いがなされた。
 石碑に刻まれた大日如来の文字の力強さは牛に対する慈悲が込められている。

(文:勝北公民館発行『勝北むらの石仏』より)(2019年2月12日撮影)

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先布呂大日如来(上村字先布呂)
数 7のうちの1
寸法 高さ85cm
造立年代 天保十四年(1843年)
在銘 天保十四卯年九月吉日

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西久保の大日如来(新野山形字西久保)
寸法 高さ120cm 台座38cm
造立年代 不詳

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大日如来

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大日如来