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人形仙母子地蔵

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 人形仙三十七人墓を西に約100m進み、二本杉の所より北へ約800m進むと、旧倉吉街道(伯耆往来)の美作と伯耆(ほうき)の国境の人形仙峠に、赤子を抱く形の珍しい「母子地蔵」がある。この地蔵は、高さ1.25mあり、文化5年(1808)に造立された。像要が赤子を抱いた地蔵となっているため、俗に「子抱き地蔵」とか「母子地蔵」とよばれ、人形仙の伝説にも残されている。前の水祭石は、明治14年(1881)米子の商人が奉納したものである。
銘文 (地蔵)天下太平 文化五辰□ 志主 上斎原村 十方 三界万霊 願主 作州西北條郡日月清明 六月吉日 沖村 □之助 (水祭石) 奉納 伯州米子茶屋 商人本田勝四郎 明治辛十四年巳七月吉日 (文:『鏡野町の文化財』より)(2017年4月30日撮影)

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人形仙三十七人墓

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上斎原振興センターより人形仙林道を北上し、美作北2号線との合流点より西側へ50mの所にある。
 この人形仙一帯は、江戸から明治時代にかけてタタラ製鉄が稼業されていた場所でもある。
 明治12年(1879)と19年(1886)に、全国的にコレラが大流行し、それぞれ10万人前後の病死者を出した。人形仙鉄山でも明治12年夏に流行し、当時の鉄山人口の約200人のうち62人がコレラにかかり、37人が死亡した。三十七人墓はその供養である。(文:『鏡野町の文化財』より)(2017年4月30日撮影)

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伯耆(ほうき)往来「距津山元標五里」

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距津山元標五里(2017年4月30日撮影)
 江戸時代が終わると、明治政府は道路網の改革に着手しました。明治2年(1869)1月には、行政官布告第59号により、全国の関所を廃止しました。
明治6年(1873)12月には、大政官布告第413号により、全国の主要道路の実測調査を実施し、1里ごとに里程標柱を整備するよう通告を出しました。起点は、東京日本橋と京都三条大橋及び県庁所在地としました。布告の中には全国41のルートが記されていますが、その中に「播磨国姫路より美作国津山夫より伯耆国米子に至る」とあり、出雲往来も含まれています。
 この布告により、美作北条県は、明治5年(1872)8月から明治7年(1874)2月までの間に、管内の津山往来、出雲往来、伯耆(ほうき)往来、因幡往来の実測調査を実施しました。そして、宮川大橋西詰を起点として、桧か松製の標柱を設置し、明治7年2月末までには完了したものと思われます。その後順次木製から津山石(擬灰岩)製に取り替えられました。この時の道標が、「津山元標」と呼ばれているものです。

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サムハラ神社(大阪)

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祭神は天之御中主神高皇産霊神神皇産霊神であり、サムハラは三神の総称である。奥の院が美作加茂(岡山県津山市)にある。 1935年(昭和10年)に田中富三郎が出身地の岡山県苫田郡西加茂村(現・津山市加茂町)にて小さなほこらの荒廃を嘆き再興したのが本社の起源。しかし翌年岡山県特高課から無許可神社で商品広告しているとして自主撤去を求められ、サムハラ信光会は11月27日に解消し、撤去を行った。戦後ほこらは再建され、神社は大阪中之島の豊国神社隣接地に自費で建立。1961年(昭和36年)に現在地へ移築遷宮された。隣接地に大阪府警察の機動警ら隊がいる。(文:ウィキペディアより抜粋)(2017年8月11日撮影)

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大阪城の号砲は津山藩の百済清次郎らが製造

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号砲
 この大砲は、全長348cm、砲口の内径20cm、外径40cm 先込め式の旧式砲で、材質は青銅の一種とみられる。
 1863年、幕府の命令により、美作津山藩(岡山県津山市)の鋳工・百済清次郎らが製造し、大坂天保山砲台の備砲として据え付けられ、明治維新後、大阪城内に移されたものと伝える。
 明治3年(1870)から時刻を知らせる号砲として用いられ、はじめは日に3度、明治7年からは正午のみ空砲が大阪市内にとどろきわたり、「お城のドン」「お午のドン」の名で市民に親しまれた。火薬節約その他の理由により大正12年~3年(1923~24)頃中止されたが、その時期と事情ははっきりしていない。(文:大阪城現地説明板より)(2017年8月11日撮影)

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妖精の森ガラス美術館と夏期企画展~幻硝世界~

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 妖精の森ガラス美術館は、平成18年に鏡野町が建設した世界で唯一の「ウランガラス」をテーマにした美術館です。ウランは19世紀から20世紀にかけて、欧米や日本でガラスの着色に使われていました。紫外線が当るときれいな緑色の蛍光を放つことから、当館では、地元、人形峠のウランを用いたガラスに「妖精の森ガラス」という名前を付けました。 小さな美術館ですが、展示室で19世紀ボヘミアやエミール・ガレの名品に出会い、工房でガラス作りを体験し、アートショップでお気に入りのガラスを探すなど、さまざまな楽しみ方ができます。ウランガラスの神秘的な輝きをお楽しみ下さい。
妖精の森ガラス美術館 館長/畠山 耕造 (2017年8月6日撮影)

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四国八十八ケ所霊場巡拝<第31番~第36番>

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 2017年3月4日(土)朝6時清龍寺を出発して日帰りで四国八十八ケ所霊場巡拝に出かけてきました。
今回は31番の竹林寺から36番の青竜寺までの6ヶ寺で大型バス運転手2名の同行です。順路は第35番 清滝寺 ⇒ 第36番 青竜寺 ⇒ 第34番 種間寺 ⇒ 第33番 雪蹊寺 ⇒ 第32番 禅師峰寺 ⇒ 第31番 竹林寺の順番でした。

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絵本作家 いせひでこの世界 こころの木 絵本の原画展

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 勝央美術文学館では、夏休み向け企画展として、画家で絵本作家のいせひでこさんの絵本の原画展を開催します。木と人といのちのかかわり、そしてその豊かさをテーマに創作しているいせさんの、卓越した技術で描かれた瑞々しい絵本原画120点を一堂に紹介いたします。旅先での入念なスケッチをもとに丹念に描かれたその作品たちは生命の賛歌にあふれ見るものを魅了します。この夏休みに是非、ご家族や大切な方とご一緒にご覧ください。勝央美術文学館 館長 竹久 保(2017年7月29日撮影)

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四国八十八ケ所霊場巡拝<第25番~第30番>

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 2016年10月26日・27日に津山市河面にある墨池山 清龍寺さんの四国八十八ヶ所霊場巡拝、第18番札所~第30番札所まで(一泊二日)に参加させていただきました。その時の様子をまとめてみました。今回は第25番~第30番までをご紹介します。

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