取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「」で検索した結果,547件の記事が見つかりました。

志呂神社(建部町下神目)

shiro_jinzya17.jpg

志呂神社(しろじんじゃ)は、美作国が備前国から分国した和銅6年(713)に弓削庄27ヵ村(現在の建部町、久米南町)の総氏神として祭られたと伝えられています。古くは神主他20名余りが奉仕し、社領70石を有していました。又、神宮寺(じんぐうじ)もあったと伝えられます。本殿は中山造より発展した3間4面(実尺は4間×4間)の総欅造の出向拝を備えた入母屋造妻入です。また、旧県社で祭神に事代主命(ことしろぬしのみこと)を祭っており、各所に彫物を配した近世末期(嘉永元年1848再建)の優れた神社建築です。環境省・岡山県(文:現地案内より)(2023年2月8日撮影)

志呂神社(建部町下神目)の続きを読む

セツブンソウの花が咲いています。

setsubunsou16.jpg

 2023年2月25日に美作市田殿にある神社の境内で咲く可愛いセツブンソウを写してきました。
境内の看板には、「田殿の自慢は清瀧と節分草です。節分草は珍しい大切な植物です。ここが一番好きで群生したのです。田殿の人たちが、大切に保護して育てています。人間が手を入れるのが一番悪いことがよくわかりました。どこでも育ちません。そっと見守ってください。美しい花を咲かせます。
平成8年7月 清龍の里の会・美作町」と書かれています。毎年可愛い花を咲かせ楽しませてくれる節分草を踏みつけないでね。

セツブンソウの花が咲いています。の続きを読む

中山神社の台所 厨(クリヤ)神社

kuriya_z7.jpg

御祭神 宇氣母智命,譽田別尊,言代主神
御神徳 五穀豊穣, 料理・調理
由緒 
 本神社は和銅6年4月に弓削村池尻に御鎮座になり、弓削庄の二宮大明神と崇められ、弓削庄三社の一である。
 延宝5年9月、領主森長成の命により現在地に遷座した。『作陽誌』によると往古中山神社の御饌神として15座30名の宮座による特殊神事があった。本神社の氏子は旧弓削庄27か村であったが、現在では上弓削・下弓削・西山寺の3か村である。
 明治2年厨谷神社と称し、明治6年村社に列格して厨神社と改称。同14年郷社に列格。同44年神饌幣帛料供進神社に指定せられた。(文:岡山県神社庁HPより転載)(2023年2月8日撮影)

中山神社の台所 厨(クリヤ)神社の続きを読む

岡山県指定 八塔寺ふるさと村

httoji5.jpg

 2022年8月22日に友と「岡山県指定 八塔寺ふるさと村」に行ってきました。
八塔寺と聞けば、八塔寺ダムや、素敵な八塔寺ダム公園が思い浮かびますが、それ以外には行ったことがなかったので、今回は思い切って「八塔寺ふるさと村」まで行ってみることにしました。
 坂道をくねくね登ると、かやぶき屋根の農家が点在、その近くの公園のような所に水車があったり牧歌的な風景が広がります。かつては高野山に並ぶほど仏教が栄えたことがあったそうですが、現状は戸数約13戸、かやぶき民家や寺院などがひっそりとたたずんでいる村でした。少し行くと、レストラン&キャンプ場 望ヶ丘があり、素朴で美味しい食事に満足して帰ってきました。
 映画"黒い雨"、テレビドラマ"八ツ墓村"や"火垂るの墓"のロケ地となったことでも知られているったです。(2022年8月22日撮影)

岡山県指定 八塔寺ふるさと村の続きを読む

2022つながる「出雲街道」を歩こう会(最終回)

2022-10-23izumokaidou4.jpg

 2022年10月23日「出雲街道を歩こう会」に参加してきました。
今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 第6弾(最終回)として、福力神社附近より津山(津山市役所)までを、東から西へと主催者の「勝間田宿の会」と共催で、「城東まちづくりの会」と「勝山宿の会」で歩きます。
「勝山宿の会」では平成24年より、真庭市内の「出雲街道(7回)・大山みちを歩こう会(6回)」を踏破して、国交省より「夢街道ルネサンス」に認定され「つながる出雲街道」と命名され、東部(美作市・勝央町・津山市)に活動の場を求めて、歩こう会を開催し、記念すべき第6弾の最終回を迎える事が出来ました。
特別企画(第6弾)出雲街道(Ⅱ)を歩こう会(第4区)
福力(福力荒神社附近)~津山(市役所)間7.5km(実質8.0km)
主催:出雲街道 勝間田宿の会、共催:城東まちづくり協議会(津山市)、共催:出雲街道勝山宿の会
協力:津山観光ボランティアガイドの会、助成:(一社)中国建設弘済会

2022つながる「出雲街道」を歩こう会(最終回)の続きを読む

蒜山の戦争遺跡を訪ねて

hiruzen_ato41.jpg

2022年8月25日(木)美作歴史ネットの地域研修会があり、参加してきました。
 さて、今年で最後となる地域研修は、真庭市蒜山原の戦争遺跡を訪ねることにしました。蒜山原には、古くは明治35年(1902)から大正6年(1917)まで置かれていた陸軍軍馬育成場、そして昭和10年(1935)から同20年(1945)まで秘かに軍事訓練が行われた蒜山原陸軍演習場がありました。これらに関する遺構は、戦後77年を経た現在も往時の面影を留めてくれています。演習場の実態に少しでも触れ、先人の大戦を再考する機会にしていただければと思います。(文:橋本惣司会長)


蒜山高原と戦争
 1935年(昭和10年)から終戦までの1945年(昭和20年)にかけて、蒜山高原には陸軍の演習場がありました。日中戦争と太平洋戦争の時代です。演習場とは、実際の戦争を想定して訓練する場所のことです。当時、蒜山原陸軍演習場は日本一の規模でした。観光地として知られる蒜山高原ですが、戦時中は戦車や砲弾を用いた大規模な模擬戦争、毒ガス使用、射撃や行軍(こうぐん)など厳しい訓練が、昼夜行われていました。蒜山には当時の遺跡がいくつか残されています。

蒜山の戦争遺跡を訪ねての続きを読む

世界の名画が一堂に!「バルビゾン派の至宝、ミレーとその仲間たち」展

mitsubachi.jpg

 美作三湯の温泉街を舞台とした回遊型アートイベント「美作三湯芸術温度」(県主催、12月4日まで)に併せて、10月1日~11月13日までの期間限定で公開されている「バルビゾン派の至宝、ミレーとその仲間たち」展を是非拝見したいと山田養蜂場ギャラリーへ行ってきました。
 なんとそこには世界の名画が一堂に集められていました。ミレー、ルソー、ルノワール、ピカソ、シャガールなど・・・。名画と言えば、私は東京や京都へとしげしげ出かけていましたが、まさかこんなに近くで拝見できるとは思ってもなかったのでなお更感激しました。しかも、無料です。こんなチャンスは滅多にめぐってくるものでもなく、とても幸せな時間を過ごさせていただきました。行かれた方の中には「いまだ興奮冷めやらぬ現在、何度でも来たいと思えるギャラリーです。」と再度、友人と来られる方もいらっしゃるそうです。
(上記写真:ミレー「蜜蜂のいる風景」※山田養蜂場ギャラリー提供)

 山田養蜂場の美術コレクションのうち、バルビゾン派と印象派の作家を中心とした300点以上の作品を初めて一般公開いたします。(期間限定、完全予約制で公開)※入館には抗原検査の実施が必要です。抗原検査キットは、本社敷地内にある直営店舗「りとるび~はうす」でもご購入いただけます。
展示絵画:ミレー、コロー、ルソー、クールベ、モネ、ルノワール、シャガールほか、バルビゾン派から現代フランス作家まで 約300点
山田養蜂場のPress Release)(山田養蜂場ギャラリーWEB専用予約フォーム

世界の名画が一堂に!「バルビゾン派の至宝、ミレーとその仲間たち」展の続きを読む

東美作路名木百選「酒本家のムクノキ」と「髙仁姫宮の碑」(勝央町)

21-8-28hime2.jpg

 勝央町の文化財保護委員長の赤木耕三さんに案内していただいて、「東美作路名木百選 酒本家のムクノキ(ニレ科)」と「髙仁姫宮の碑」を巡って来ました。
 ムクノキの巨木はまるで髙仁姫宮の碑を囲んでいるように根を張っています。その髙仁姫宮の碑の裏には酒本同族会が建立した酒本家のルーツが書いてありました。また、近くには後南朝初代高福天皇の第一皇子尊秀親王のお墓と伝えられている地や、如意輪観音寺跡がありました。(2021年8月28日取材)

東美作路名木百選「酒本家のムクノキ」と「髙仁姫宮の碑」(勝央町)の続きを読む

霊雲山 蓮華寺 弘法寺(美咲町)

2021-10koboji11.jpg

 当山は、天長年間(824~)に、弘法大師御開創の霊域と伝えられたお寺です。
 万治3年(1660)、当山中興快英上人の手によって再建され、仏師を乞い本尊を建立しました。胎内には、大師御製作の塑仏頭面を納めています。
 地元の丹波六郎兵衛を願主として再興され、その折、木像の弘法大師像を金剛寺(現愛染寺)より寄進されました。以後延享年間(1744~)に、宥善上人により当山は中興されました。
 近年、本堂・客殿・庫裏を再建し、現在に至っています。
(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年10月2日撮影)

霊雲山 蓮華寺 弘法寺(美咲町)の続きを読む

釈迦免池(奈義)から見た那岐連邦の雪景色

ike.jpg

2月26日釈迦免池(しゃかめんいけ)は、勝田郡奈義町柿にある海抜251mの溜池です。
釈迦免池改築竣工 記念碑に
「釈迦免池は寛永12年構築され、その後数次に亘り、増改築が行はれ祖田を養いたるも老朽甚だしきため県営日本原演習場障害防止対策事業として全面改築工事が竣工しここに待望の溜池となれり
昭和56年5月建之」とある。(2020年1月15日・2022年2月9日・2月25日・2月26日撮影)

実兼古墳群(さねかねこふんぐん)は久常の釈迦免池の西側の丘陵から柿の八幡神社にかけて点在している16基の古墳群の総称で、ほとんどが円墳です。
久常分の古墳には美作菅家の祖「菅原知頼」とその子孫の墓との言い伝えがあります。
釈迦免池脇に立看板あり、徒歩で3分ほど

釈迦免池(奈義)から見た那岐連邦の雪景色の続きを読む