![倭文(しとり)神社(油木北)旧久米町](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2014/11/hitori2-thumb-120x120-91001.jpg)
倭文(しとり)神社(油木北)旧久米町
![行啓道路(津山市山下)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/07/800%E8%A1%8C%E5%95%93%E9%81%93%E8%B7%AF-thumb-120x120-91204.jpg)
行啓道路(津山市山下)
![能万寺古墳群(きつね塚遺跡)(津山市押入)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/01/kitune5-thumb-120x120-91341.jpg)
能万寺古墳群(きつね塚遺跡)(津山市押入)
![古い街道 しずな坂(押入)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/01/saka5-thumb-120x120-91508.jpg)
古い街道 しずな坂(押入)
![アルネが出来る前の吹屋町界隈の写真](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2017/03/800px3177-thumb-120x120-162131.jpg)
金毘羅宮は香川県多度津郡琴平町に鎮座し、祭神は大物主神で、この神社は明治7年に現在の金毘羅宮となるまでは象頭山金毘羅大権現と称していた。一般庶民の信仰も深くほとんど全国的で、特に船に乗る人はこの神を厚く信仰している。
原の岩逧の金毘羅さまの石碑は二百余年前の作で、その盤座のもとに石工伊八の銘が彫り込まれている。松尾伊八は泉州の名工で多くの石碑を遺している。
金毘羅とは、梵語でクンピーラといって昔のインドの国で鰐を神格化した仏法の守護神として祀られ、江戸時代に入り航海の安全や猟師の祈願として信仰され、更に 水の神・農の神として広く信仰されるようになった。
かなり急な岩の上におられます。
上高進さんに案内いただきました。
金毘羅大権現(原字岩逧)
寸法 高さ110cm
造立年代 寛政五年(1793年)
在銘 寛政五癸丑三月吉日
石工 伊八の名が彫られている。
(文:勝北公民館発行『勝北むらの石仏』より)(2019年2月12日撮影)