津山城(鶴山公園)(観光スポット情報)

2015津山さくらまつりのイベント

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 2015年4月1日~15日恒例の「津山さくらまつり」の様々なイベントが開催されました。今日はあいにくの小雨が降っていますが、太鼓ショー&備州岡山鉄砲隊、宝蔵院流槍術、コスプレ、伝統芸能交歓会などが賑やかに行われました。また、美作のグルメと観光展もあり、津山ホルモンうどんを始めとして、津山そずり鍋、まほらプリン、津山じゃあじゃあ麺、津山黒豚餃子など津山の名物が沢山並んでいました。その他にも、お茶席やちびっこ広場など家族で楽しめる企画もありました。(2015年4月4日・5日撮影)

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備中櫓(鶴山公園内)

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備中櫓は天守台の南東、本丸南面に突出した石垣上に立地する2階建ての櫓です。
 高さ約13メートル、幅約24メートル、奥行き約8メートルで、延べ面積は約288平方メートルです。
60を数える津山城の櫓の中でも最大級の規模を誇り、その立地などから考えて、天守に次いで重要な櫓であり、象徴性の高い建物であるといえます。
構造
 備中櫓は、木造一部2階建てで屋根は本瓦葺きの入母屋造り、外壁は軒廻りも含めて白漆喰塗りです。通常、櫓の内部は板敷きあるいは土間ですが、この備中櫓の内部は全室畳敷きという特徴を持っています。

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鶴山館(鶴山公園内)

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 これは津山藩の学問所(文学所)として1870年(明治3年)に着工されました。場所は京町門の内側にそれまでにあった文武けいこ場の東側(現在の津山電報電話局のところ)で、翌1871年に完成され、従来のけいこ場とあわせて「修道館」と名づけられました。この時期は同年7月に行われた廃藩置県の直前であり、明治維新のあととはいってもまだ藩内の教育については藩が統轄しているときでした。
 しかしその後、明治政府は廃藩置県を行うことによって全国に統一した行政が行える体制ができ、文部省を設けたり、1872年には学制を制定(学区制、就学奨励)したりして、近代教育制度を発展させていきました。修道館はこのような事情から完成して間もなく廃藩置県にもとづいて廃止され、のちの"鶴山館"にあたる建物は変遷する教育制度などと深くかかわりながら利用されてきました。それはだいたい次のとおりです。

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津山と松尾芭蕉の縁

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 津山城(鶴山公園)に松尾芭蕉の句碑がある。津山と松尾芭蕉の縁を調べてみました。


 全国に知られた富豪で俳人でもあった蔵合の五代目孫左衛門直良は、元禄(1688-)から享保(1716-1734)年間頃、全盛を誇った蔵合家当主。西鶴が『日本永代蔵』にえがいたのも直良の時代と思われるが、芭蕉とも交友を結び俳人でもあった富豪の面影をしのばす。俳号は「推柳」という。句集『夢三年』(寛政12年、岡山の佐々木松雨が編集)の中に、芭蕉の友人・山口素堂の一文をのせている。その中に「津山の住、推柳子のもとへ赤木氏より、わが友芭蕉の翁が絵かきて自ら賛せるを送らせー」とあり、芭蕉と蔵合直良推柳の交友を窺わせる。芭蕉が送った自画賛については享保元年(1716)に、やはり芭蕉門の俳人・月空庵露川が門人の燕説を供に津山を訪れた時の紀行『西国曲』に次のように記されているという。紀行には蔵合の繁栄ぶりを示す記事もあり、西鶴の『日本永代蔵』をさらに裏付ける。(2015年4月21日撮影)


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2017 津山城もみじまつり

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 11月18日から11月23日まで、津山城鶴山公園にて、「津山城もみじまつり」が開催されております。期間中は鶴山公園内にある約300本のもみじがライトアップ(PM17:00~21:00)され、遠くからも石垣ともみじのコントラストがとても素敵です。
また、18・19日のステージイベント、ご当地グルメフェスティバル&つやま地域産品まつり、美作国大茶華会などイベント盛りだくさんの「津山城もみじまつり」でした。(撮影:2017年11月18日)

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津山・美作の国いにしえギャラリー by 江見写真館(第2回)

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衆楽園 遠くに津山城天守 昭和11年撮影
 1873年創業の江見写真館には三代目江見正(1890-1976)撮影の地域の歴史を記録するガラス乾板が多数保存されています。(写真、文:江見写真館提供)※写真は「津山瓦版」のみ使用可です。

衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。元禄11年(1698)に松平家が藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に「衆楽園」として命名されました。  衆楽園は津山城の北側(津山市山北)に位置しており、庭園は南北に長い敷地で、大半を池が占めています。別邸跡の古い建物群は現存せず、それらを再現した建物(余芳閣・迎賓館・風月軒ほか)が建っています。(津山城より

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2017年6月の津山城(鶴山公園)のアジサイの花

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青空に恵まれて気持ちも爽やかな6月14日の日、久しぶりに鶴山公園に行って来ました。案内所でお聞きすると二の丸のアジサイが綺麗だとのことでアジサイの花を撮り、ついでに本丸まで上がってきました。途中2人組みの観光客の方が熱心に石垣の写真を撮られながら、大きな石にビックリしておられました。私たちは普段見慣れているので当然と思いがちですが、「大きいなぁ、立派だなぁ~」という言葉を耳にするたび、改めて石垣の立派さに驚かされます。今から思えばこのお2人さんの内の1人はゴルゴ松本さんだったような気がしました。(2017年6月14日・21日撮影)

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「津山さくらまつり」のオープニングセレモニー

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4月1日(土)10:00~10:30「津山さくらまつり」のオープニングセレモニーがありました。残念ながら今年は全国的にもさくらの開花は遅れているようで、津山でもまだつぼみの状態でした。ここ津山の桜は「さくらの名所百選」に選ばれているさくらの名所です。毎年オープニングを飾るのは「津山情緒保存会」のみなさんの踊りです。テープカットの後に入園された方先着1000名に「紅白餅」がプレゼントされました。

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津山城(鶴山公園)にある尾上柴舟碑

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尾上柴舟先生略歴
 明治9年8月20日津山市田町北郷家に生る。本名八郎 23年3月鶴山高等小学校卒業。直頼高に師事して、和歌の手ほどきを受く。25年上京初め大口鯛二ついで落合直文の門に入り短歌を学ぶ。この年尾上家に入る。34年4月東京帝国大学文科国文科卒業。大正12年文学博士となり、東京女高師・学習院教授を歴任。これより前23歳にして短歌結社「いかづち会」を起し、明星派全盛期に対抗して反明星の炬火を掲ぐ。ついで「車前草社」を創立。門下から若山牧水・前田夕暮等、幾多の俊秀歌人が輩出した。
大正3年「水甕」を刊行、これを主宰した。終戦後は毎年宮中詠進歌の選者を努めた。一方、草仮名の名手として現代書道界の第一人者であり、昭和12年芸術院会員に推され日展書道部審査員となった。
叙景詩日記の端より、朝ぐもり・間歩集・ひとつの火・古今と新古今・平安朝時代の草仮名の研究等、歌集著書手本の類は枚挙に遑かない。(文:説明板より)

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