取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「」で検索した結果,565件の記事が見つかりました。

森家と三日月藩(佐用町)

2023-5-20jiya3.jpg

 森家はもともと清和天皇からの流れを汲む氏族といわれ、相模国森郷を領したのち森氏を名乗ったと伝えられています。森家が歴史上に現れるようになるのは16世紀、森可成のころからで、可成はのちに織田信長に仕え美濃国金山を領することになります。
 また森家は著名な人物も多く輩出しており、この中でも先の森可成のほか森長可や森長定(蘭丸)などは特に有名な歴史上の人物としてよく知られています。
 三日月藩森家にはこのような氏族の後裔(こうえい)として森忠政が開いた津山藩森家(現岡山県津山市)を本家とし、その分流として成立します。慶安二(1649)年、後の三日月藩租である森長俊は二代津山藩主森長継の子として生まれ、延宝四(1676)年には藩主森長武に領内の一万五千石を分け与えられ津山新田藩を開きます。
 しかし元禄十(1697)年、本家である津山藩森家が改易となったときに森長俊は播磨三日月の地に移され、ここに三日月藩が始まることになります。
 三日月藩の領地は現在の三日月町、佐用町、上月町、南光町、新宮町、山崎町の一部にまたがり、佐用群内では四十の村、新宮では七の村、穴粟郡では十八の村の計六十五村を数え、石高は津山の頃と同じ一万五千石でした。
 後の三代俊春、四代俊韶のころには、今の岡山県と兵庫県内に四万石ちかくを預かり五万四千四百三十石を有したこともあったようです。
 さて、この長俊の後三日月藩の藩主は二代長記、三代俊春、四代俊韶、五代快温、六代長義、七代長篤、八代長国、九代俊滋と続くことになります。
 藩主の説話もいくつか残っており、初代長俊は長身で鼻筋が高く眼光の鋭い人であったといわれ、いまでも菩提寺(ぼだいじ)である高蔵寺(こうぞうじ)にはその面影を伝える木造が残されています。二代長記は氏神の日岡八幡宮(ひおかはちまんぐう)、菩提寺の高蔵寺の増築を行っています。三代俊春は学問を好み、四代俊韶も能書であったと伝えられ、また五代の快温も学問を好み私金でを投じて藩校廣業館(こうぎょうかん)を設立し、学問・武芸に力を入れたとされます。
 この後三日月藩は九代の俊滋のときには明治維新(めいじいしん)を迎え、さらに明治四年の廃藩置県(はいはんちけん)で藩知事(はんちじ)を免ぜられたことをもって三日月藩九代174年の治世は終わりを告げることとなりました。(文:兵庫県佐用郡三日月町発行『森家一万五千石の陣屋 三日月藩乃井野陣屋跡』より転載)(撮影2023年5月18日・20日)(佐用町許可済み)

森家と三日月藩(佐用町)の続きを読む

レアンドロ・エルリッヒの作品《まっさかさまの自然》

2025-1-13nagi16.jpg

 岡山県北エリアで開催された「森の芸術祭 晴れの国・岡山」(2024年9月28日~11月24日開催)
奈義町の屋内ゲートボール場「すぱーく奈義」に展示されていたレアンドロ・エルリッヒの作品《まっさかさまの自然》が、特別に2025年1月10日~2月2日まで延長公開されているとのことで、1月13日に奈義町の屋内ゲートボール場「すぱーく奈義」へ出かけてきました。
 屋内に入るとすぐ森に囲まれた中に吊り橋が掛けられていて、下をのぞくと、空の上から森を見ているような不思議な感じがしました。実際は、天井から吊るされた木々が下の鏡に映りこみ、周りには本物の木々が植えられていました。

レアンドロ・エルリッヒの作品《まっさかさまの自然》の続きを読む

元文一揆発頭人 義民藤九郎・与三右ヱ門之慰霊碑

2024-6-14gimin4.JPG

 元文4年(1739)、不作が続く美作国勝北郡(今の岡山県)の幕府領で百姓3千人が蜂起し、野非人の扮装で富家に押し掛け米や金銭を要求し、鎮圧後に北野村(今の勝田郡奈義町)藤九郎・与三右衛門が死罪となりました。
 平成15年(2003)、経済産業大臣の平沼赳夫の揮毫による「元文一揆発頭人義民藤九郎与三右ヱ門之慰霊碑」が奈義町内に建てられました。
(2024年6月14日撮影)

元文一揆発頭人 義民藤九郎・与三右ヱ門之慰霊碑の続きを読む

森の芸術祭「満奇洞」をミューズの会で訪れる

2024-11-13niimi_makidou16.jpg

 2024年11月13日にミューズの会の皆さんと新見市にある満奇洞を訪れました。
蜷川実花 with EiMさんの作品で、洞窟内の真っ赤な彼岸花と赤の照明で幻想的な世界が広がっていて印象的です。
 2024年9月28日(土)~11月24日(日)まで岡山県北を舞台に開催される国際芸術祭「森の芸術祭 晴れの国・岡山」のアート作品展示会場でもあります!
 満奇洞(まきどう)は、岡山県新見市豊永赤馬にあり、県の天然記念物に指定されている全長約450mの鍾乳洞で、1929(昭和4)年に歌人与謝野鉄幹・晶子夫婦が「奇に満ちた洞」と詠んだことから、満奇洞(まきどう)と呼ばれるようになったそうです。

森の芸術祭「満奇洞」をミューズの会で訪れるの続きを読む

2024「たまごまつり ~第13幕~ 」

2024-10-20misakitamago4.jpg

 たまごかけご飯で有名な美咲町ですが、毎年「たまごまつり」が開かれます。今年は、2024年10月10日JR亀甲駅前と駅前商店街で行われました。当日は歩行者天国になり、商店街通りに飲食や雑貨などの模擬店が多数出店。かわいいひよこをだっこできるコーナー、かめっこ保育園園児の出し物、昔懐かしいチンドン屋など、楽しいイベントが盛りだくさんでした。また、黄色の服装で来られた家族先着300名に「美咲町産 森のたまご」のプレゼントされました。

2024「たまごまつり ~第13幕~ 」の続きを読む

美作最大級の横穴式石室-井上火の釜古墳-(鏡野)

2024-7hinokamakofun5.jpg

 広域農道を西に走り、真加部付近で右手に見える仙形山(せんぎょうせん)斜面を臨むと、大きな石で組まれた石室が開口しているのが見えます。これは「井上火の釜」(町指定文化財)という古墳の横穴式石室です。
 井上火の釜は、井上大塚古墳・まかべ13号墳ともよばれています。横穴式石室というのは、古墳の側面に入口が設けられた石室で、何度でも追葬が可能な仕組みになっており、古墳時代後期の六世紀に多く築造された古墳の埋葬施設です。
 井上火の釜の石室は、現存長11.02m、棺を納めた部屋(玄室)の規模は、長さ6.36m、最大幅2.11m、高さ1.75m、入口から玄室までの通路(羨道)(せんどう)は、長さ4.66m、最大幅1.68m、高さ1.3mを測ります。玄室は、奥壁から見て右側が広くなっている右片袖式(みぎかたそでしき)とよばれる横穴石室で、本来は石室に盛り土が覆っていたはずですが、耕作土として持ち去られたり、長い年月の間に風雨に流されたりして、石室の天井石も露呈し、外形は大きく損なわれています。しかし本来は円墳であったと推定されており、町内で最大規模の横穴式石室をもつ古墳です。この石室の規模は、美作最大級の横穴式石室をもつ川戸二号墳(美作市・石室全長12.35m)、万燈山古墳(津山市・同12.1m)、穴塚古墳(真庭市・同12m)に並ぶ規模になります。

美作最大級の横穴式石室-井上火の釜古墳-(鏡野)の続きを読む

満奇洞(まきどう)

2024-7-8makidou54.jpg

 涼を求めて友と何十年ぶりかで新見市豊永赤馬にある満奇洞(まきどう)へ行ってきました。津山市から自家用車で凡そ1時間程で行ける所です。
ここは、1929(昭和4)年に歌人与謝野鉄幹・晶子夫婦が「奇に満ちた洞」と詠んだことから、満奇洞(まきどう)と呼ばれるようになったそうです。また、県の天然記念物に指定されている全長約450mの鍾乳洞です。
 入るとすぐメガネが真っ白になるくらいの半端ない涼しさの洞内は、カラフルなLEDでライトアップがされています。奥に進むにつれて、天井が低い所があったり、高い所があったりと変化が楽しめる洞窟です。また、洞内にある「恋人の泉」は『恋人の聖地』に選定されています。(2024年7月8日撮影)

満奇洞(まきどう)の続きを読む

造山古墳(つくりやまこふん)

2024-7-3tsukuriyama34.jpg

 日本遺産「桃太郎伝説」の生まれたまち、おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~
造山古墳:古墳時代中期(5世紀前半頃)に築造された全長約350mの前方後円墳です。現在全国4位の規模で、築造当時は国内最大でした。自由に立ち入ることができ、墳丘(ふんきゅう)を歩いて見学できる古墳としては国内最大です。
 周囲には、家来などを埋葬したといわれる倍塚(ばいづか)が6基もあり、その一つである千足古墳(せんぞくこふん)では、熊本県から運ばれた石材が使われ、直弧文(ちょっこもん)と呼ばれる直線と曲線を組み合わせた文様を刻んだ石も発見されています。
 この地に大きな勢力を持つ有力者がいたことで、対立する大和朝廷が派遣した吉備津彦命(きびつひこのみこと)が、鬼神(きしん)(温羅とも呼ばれる)を退治する伝説が生まれたと考えられています。(文:現地案内板より転載)(2024年7月3日撮影)

造山古墳(つくりやまこふん)の続きを読む

再企画 つながる出雲街道(久世~勝山宿2)

izumokaidou2023.jpg

 再企画第1弾第3区 つながる出雲街道(久世~勝山宿1)からの続きです。
「夢街道・ルネサンス」認定 真庭の歴史遺産の古道
 現在の兵庫県にあたる播磨国の姫路から、島根県にあたる出雲国の松江までを結ぶ約215キロの古道「出雲街道」を歩くイベントが、2024年10月29日(日)に開かれ、県内外から約50人が参加。今回主催の出雲街道勝山宿の会メンバーの皆様に、久世から勝山まで案内して頂きました。


「街道歩こう会」の活動履歴
平成24~28年:「出雲街道(1)を歩こう会」7区画(延57.0km)
       (津山市~真庭市~新庄村~鳥取県・日野町)
平成26~令和元年:「大山みちを歩こう会」6区画(延55.5km)
       (真庭市・上山~真庭市・延助)
令和2年:国土交通省より認定された「夢街道ルネサンス」の「「つながる」をキーワードに、同2年より市外に活動の場を求める。
令和2~4年:つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会」6区画(延45.1km)
(美作市・勝央町・津山市)
各会団体の協力を得、県内の「出雲街道」及び市内の「大山みち」は統べて踏破(延19回)することが出来ました。(文:資料より転載)

再企画 つながる出雲街道(久世~勝山宿2)の続きを読む

再企画 つながる出雲街道(久世~勝山宿1)

izumokaidou2023-kuse7.jpg

 再企画第1弾第3区 つながる出雲街道(久世~勝山宿)
「夢街道・ルネサンス」認定 真庭の歴史遺産の古道
 現在の兵庫県にあたる播磨国の姫路から、島根県にあたる出雲国の松江までを結ぶ約215キロの古道「出雲街道」を歩くイベントが、2024年10月29日(日)に開かれ、県内外から約50人が参加。今回主催の出雲街道勝山宿の会メンバーの皆様に、久世から勝山まで案内して頂きました。


「街道歩こう会」の活動履歴
平成24~28年:「出雲街道(1)を歩こう会」7区画(延57.0km)
       (津山市~真庭市~新庄村~鳥取県・日野町)
平成26~令和元年:「大山みちを歩こう会」6区画(延55.5km)
       (真庭市・上山~真庭市・延助)
令和2年:国土交通省より認定された「夢街道ルネサンス」の「「つながる」をキーワードに、同2年より市外に活動の場を求める。
令和2~4年:つながる「出雲街道(Ⅱ)を歩こう会」6区画(延45.1km)
(美作市・勝央町・津山市)
各会団体の協力を得、県内の「出雲街道」及び市内の「大山みち」は統べて踏破(延19回)することが出来ました。(文:資料より転載)

再企画 つながる出雲街道(久世~勝山宿1)の続きを読む