狐塚の話『山西の民話』
古池((現・小池)の奥に「石が谷」というところがある。昔、水の便利が悪くて稲が作れず、畑にして大豆をを作っていた。毎年のこと、豆がうれるころとなると兎が出て豆を食い荒らして困っていた。ある年、持主の花戸(ハナト=家号)の六兵衛隠居が腹を立てて、兎退治を思いついた。勢子をたのんだら、早速に治郎兵衛や弟の熊や、虎やんや常やんや、雄治に治太郎など若者が集まって「やろう」「やろう」といきり立った。兎網を用意して、勢子たちは手ごろのこん棒を作った。旧の10月13日だった。畑のまわりに兎網をしかけて、兎の来るのを今か、今かと待っていた。