トンボの里公園キャンプ場(宮部上)
2020年6月7日に久米の宮部上にある「トンボの里キャンプ場」まで行ってきました。
キャンプ場は津山市宮部川の上流にあり、「ほたるの里」を通り過ごすとあります。地元の祭りなども行われますし、夏の夜にはホタルがたくさん飛び交うところです。近くには集落があり、人々はとてもやさしいです。(キャンプ場は、利用時には事前に予約が必要です。無料)(2011年の取材)
2020年6月7日に久米の宮部上にある「トンボの里キャンプ場」まで行ってきました。
キャンプ場は津山市宮部川の上流にあり、「ほたるの里」を通り過ごすとあります。地元の祭りなども行われますし、夏の夜にはホタルがたくさん飛び交うところです。近くには集落があり、人々はとてもやさしいです。(キャンプ場は、利用時には事前に予約が必要です。無料)(2011年の取材)
2020年6月17日の津山市井口にある長法寺のアジサイの花です。
今年のアジサイのイベントは新型コロナウイルスの影響で中止になりましたが、それでも続々とお客様がアジサイの花を見学に来られていました。まだこれから次々と咲き誇ると思いますので是非どうぞ。
(あじさい祭【長法寺】2010年6月19日のイベントの様子)
2020年6月18日の津山地方は雨が降っていて、少し肌寒く感じました。
長年私たちを楽しませてくださった美作の丘ですが、残念なことに2020年7月31日をもって閉店されるそうです。大きな風車がシンボルの丘の上、可愛いうさぎさんやニワトリさん、いろいろな遊具で遊べた遊園地。思い出すと長い間家族でお世話になりました。本当にありがとうございました。
場内を流れる倉見川の清流の、全長150mの水路で川遊びができるキャンプ場です。
まだオープンしていない2020年5月30日にマイナスイオンたっぷり吸いに行こうと出かけてきました。
「明るく広々としたロケーションにバンガローやテントサイトが設けられているほか、バーベキューテラスも好評。ピクニックや自然散策から本格的なアウトドアキャンピングまで、自然を満喫できる。」(詳しくは→黒木キャンプ場HP)
また、春にはさくら、夏にはキャンプ、秋には紅葉が素晴らしい所です。(2020年5月30日撮影)
石敢當(いしがんとう、いしがんどう、せきかんとう、せっかんとう)と呼ばれます。辞書によれば「災いを除くため、橋・門・路上の要所などに建てた石碑」とあります。中国・朝鮮を経て日本に伝来したもので、主に九州地方に多く見られます。一説には「石」は人名、「敢闘」は向かうところ敵がないという意味とも言われています。(文:城東マップより)(2020年6月4日撮影)
四足門は、大手の二の丸の入口にある門です。門は、廃城後の明治7年に中山神社(津山市一宮)の神門として移築されました。絵図と比べると、屋根が瓦葺から檜皮葺に変わっていますが、現在でも見ることのできる数少ない津山城の建物の一つです。
絵図や現在の神門の調査から、薬医門であることや、扉のついていない城門であったこと、柱の位置関係が絵図と重なることが分かりました。発堀調査では、門の礎石の根石を確認しています。
2020年4月5日の倭文ふれあい公園(津山市桑上501)です。倭文ふれあい公園は、途中から少し細い山道を登って行きます。途中の民家の庭先や畑にはチューリップの花が植えられていてお花がいっぱいの所だなという印象です。そんな景色を見ながら、たどり着くと、なだらかな斜面に長い滑り台のある公園が見えてきます。地元の人たちが楽しんでおられるという印象の公園です。
沼第五公園(昭和公園)(津山市山北765)は、宮川沿いにあり、中央児童館が隣接されています。周りには住宅街や近くには美作大学があります。まだ肌寒い日でしたが、滑り台の周辺で子供たちが元気に走り回っていました。(2020年3月23日撮影)
2018年に享年82歳で亡くなった植月正紀遺作展が2020年6月4日~7日アルネ津山4Fの津山市立文化展示ホールでありました。
2013年の自宅での取材・2013年の個展の時に、津山の美術館構想を熱く語っておられたことが思い出されます。
「私には、病魔との戦いがある。肝臓病、糖尿病、60歳を過ぎてから、心筋梗塞、脳梗塞、脳梗塞では左手と左足に少し障害が残った。そして大腸癌、腸閉塞と手術の連続でした。又、眼科ではレーザー治療など病との戦いです。
これまで皆様の温かいご支援と、多くの方々の力を借りて作品を制作できたものと感謝しています。
今回、私の60年間の絵画制作の歴史を見て頂きたく御案内申し上げます。
私は今、自分を誇りに思っています。良くここまで来たと!! 2013年 植月正紀」
いつも通る度に気になっていたのでここらで一度調べてみようと思い、昔の写真を拾い出してきました。(撮影2014年7月25日)この石碑には「奉供羪大峯三拾三度為現當二世菩提碑 寶法印敬白」(たぶん?)と書かれている。今年になって知人にお聞きしたら、下記のお返事が来ました。
「供養のための石碑のようです。三十三の文字が見え調べてみました。
三十三とは、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)に説かれる、観世音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来している。」とのことでした。解明でき良かった。