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若宮神社の椋の木

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 西寺町と茅町との境になる裏通りに若宮神社がある。鳥居の内に二間四方の小さな社殿があるが、この家の中から大木が生えている。樹齢四百年と言われ、優に二抱え高さ二十㍍に及ぶ椋の木である。
この木は徳守神社の社前にある椋と兄弟木という言い伝えがある。その神木伝説があるから社殿と一緒に残ったわけで、四百年ならば、築城記念の中に加えなければなるまい。徳守神社の表の石垣にもたれる椋も大きいこと周知の通りである。(文:故 白石 哲 氏)(2017年4月23日・24日)

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西賀茂神社のナナミノキ(市指定重要文化財)

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西賀茂神社のナナミノキ 所在地 / 杉宮406番地 所有者 / 西賀茂神社 員数 / 1本
 西賀茂神社境内にあります。ナナミノキはモチノキ科に属する常緑高木で、暖帯に分布し、静岡県以西の太平洋岸から南シナ海に及んでいます。
 本樹は目通り周囲1.2m、根元周囲1.56mで、樹高16mです。推定樹齢は100年です。11月頃には緑の濃い葉の中に、丸くて赤い果実を付けます。岡山県では南部で自生していますが、県北には稀にしか見られません。西賀茂神社の社叢には、本樹の外にも少々小さいナナミノキが3本ほど並んで自生しており、県下での分布北限を示す一例となっています。(文:津山市教育委員会発行『津山市の文化財』より)

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一遍上人伝承地(旧勝北)

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一遍上人伝承地 種別 / 記念物(史跡) 指定年月日 / 昭和57年12月23日
所在地 / 中村393番地 所有者 / 新善光寺
 時宗の開祖、一遍上人がその教えを広めたといわれる地です。京都の観喜光寺が所蔵する「一遍聖絵」は、念仏を唱えながら諸国を巡り歩いた一遍の生涯を描く絵巻物であることは一般によく知られています。
 その中に美作の中山神社に滞在したことが載せられており、詞書の一節に「それを(中山神社)たちて、かなもりと申所におわしたるけるに・・・・」とあります。その「かなもり」は、現在の金森山新善光寺がある場所だろうとされています。一遍上人が伯耆の国から美作に入り、中山神社を訪れたのは弘安8年(1285)のことでした。(文:『津山市教育委員会 津山の文化財より』)(2017年8月12日撮影)

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百済市良右衛門 -作州鋳物の伝統五百七十年ー

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 司馬遼太郎の「街道をゆく」の第7巻は、古代の鉄生産をたずねて山陰路を歩いた記事をのせている。その帰途に四十曲峠を越えて作州に入り、苫田郡加茂町の黒木あたりのタタラ跡を見て回った。そこから岡山へ出る道、五十三号線の佐良山地区内のドライブ・インに立ち寄った。同行の鄭詔文さんがいつものくせで電話帳を借りて来てめくっているうち、津山市内に「百済姓」が四軒もあるのを発見、すぐ電話連絡をしたら、百済康氏の家だった。寄って欲しいと言われ、吹屋町に引き返して系図をみせてもらった。「いかにも風趣あり」鋳物伝来の暗示をしているようで、みごとな感じをうけた。と司馬遼太郎は書いている。このみごとな感じとは、渡来者の家系を誇りとしていることを指すと思う。いうまでもないが、新しい文化を日本にもたらしたのは多くの渡来者であった。

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鉄砲町のお大師様

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 津山市鉄砲町に大師堂があり、軒先に阿弥陀如来・薬師如来の札が架かっている堂宇がある。
長年解らないまま月日が過ぎていましたが、2017年8月やっと鉄砲町の池田さんをお尋ねしてきました。「お大師様で、昔は隣の方々がお涼みなどしていましたが、今ではお涼みもお祀りもされていませんし、知った方々はいなくなってしまいました。一時、極楽山 光厳寺さんにお願いして一二度拝んでもらったこともありました。今は家の敷地内にあるので、私がお祀りしています。先代がいなくなって詳しい事はわかりません。」とのことでした。その後、光厳寺の住職をお尋ねして案内していただきました。(2015年5月9日撮影)

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慈恩寺のタラヨウ(モチノキ科)

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慈恩寺のタラヨウ タラヨウ(モチノキ科) 所有者/慈恩寺
推定樹齢/250年 目通り周囲/2.4m 樹高/25m
 久米町桑下の国道429号線と県道久米中央線が交差する地点の南の山の中腹に慈覚大師開創と伝えられる古刹慈恩寺があり、本堂左奥に本樹がある。
 タラヨウは近畿地方以西の暖地の山地に生えるが、多くは庭園に栽培される。本樹は雌株で秋から春にかけて紅色の実をつける。(津山の名木百選)(2017年7月1日撮影)

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金剛寺の銀モクセイ・ツバキ(旧勝北)

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龍王山 金剛寺の銀モクセイ・ツバキ 種別 / 記念物(天然記念物) 指定年月日 / 昭和55年4月1日
所在地 / 西上500番地 所有者 / 金剛寺 員数 / 各1本
 金剛寺の入口には推定樹齢150年の銀モクセイと、同400年のツバキの木があります。銀モクセイは樹高12m、目通り周囲1.9m、根元周囲2.25mあります。地表60㎝で2枝に分かれ、さらに3mと3.5mあたりにそれぞれ第一枝を出し、樹冠の整った姿をしています。
 ツバキは樹高7m、目通り周囲1.83m、推定樹齢400年です。樹姿もよく生育が盛んで、6本の枝が張っています。季節になるとたくさんの花をつけ、訪れる人々の目を楽しませてくれます。

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宇田川興斎旧宅跡(北町) 

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宇田川興斎旧宅跡 未指定(史跡) 北町8番地の7 
 津山市北町の城北橋の西詰の一角に津山市教育委員会が建てた解説板がある。ここが箕作家と並ぶ津山洋学のもうひとつの柱、洋学者宇田川家の四代目宇田川興斎の屋敷であったところである。この場所は、土地所有者本島大道より津山市が寄贈を受け、平成9年10月に整備された。興斎は文久3年(1863)から明治5年(1872)までのあしかけ11年間津山に住んでいた。この北町の屋敷の後、林田町に家を借りて住んでいるが、その場所は不明である。当時は明治維新前後の激動の時代であり、津山にいる間、興斎は東奔西走し、公私ともに多忙な日々を過ごした。

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村上のヒムロ ネズ(ヒノキ科)

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村上のヒムロ ネズ(ヒノキ科) 所在地/久米郡久米町油木北(2017年7月1日撮影)
推定樹齢/250年 目通り周囲/2.3m 樹高/24m
 油木北の国道429号線の北側の小高い丘の上に村上家があり、家の横の畑のほとりにひときわ高くそびえる。ネズは日あたりのよいやせ地に多くみられ各地に分布し、ネズミサシとも言われる。葉の長さ1.5~2.5㎝、針のような形で触ると痛い。
 県下でも大きいものの一つである。(文:津山地方振興局発行『津山の名木百選』より)

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津山市総社の八十八ヶ寺霊場巡拝

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 2017年5月3日に津山市総社にあるデイサービスセンター椿寿荘敷地内にある八十八ヶ寺の事を、理事長の小林 敏隆さんからお聞きしました。この弘法大師像は小林さんが友人に声をかけて創建されたそうです。小林さんは四国八十八カ寺になかなか出かけて行けない人のために、四国八十八カ寺を回り、お砂を頂いて来たそうです。その後、鐘楼も建立してこられたそうです。今では地区の皆さんが管理されておられます。

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