千光寺の椿の花(2014年2月)
2014年2月14日・22日に千光寺さんへ椿の花を見に行って来ました。
相変わらず美しい色をしていました。今年は少し早く咲く椿があったりで、津山市の気候もだんだんと変わってきているようです。
2014年2月14日・22日に千光寺さんへ椿の花を見に行って来ました。
相変わらず美しい色をしていました。今年は少し早く咲く椿があったりで、津山市の気候もだんだんと変わってきているようです。
縁起、本尊の阿弥陀如来は遠く千四百余年の昔、佛教伝来の砌り、百済の聖明王献じた佛像を蘇我蝙蝠の臣に賜いしものと作陽誌等の古文書に記す。蝙蝠の臣蘇我を改 めて田口氏と為し、貞観年中美作の地上田邑に寺院を建立、阿弥陀寺と号す。正平十八年、田口薩摩守光政によって堂宇の修造が加えられ、光政亡き後、姓氏を 以って田口山とし、法名引乗寺殿を以って寺号改む。永禄年間、戦乱の災に本尊阿弥陀如来損傷を被る。故に像現本尊の肚腹内に蔵すと伝う。(美作八十八ヶ所霊場HPより)
~二世市川亀治郎(現・四世市川猿之助)と十五世片岡仁左衛門・・・歌舞伎名場面展~
〇会期:2月1日(土)~3月30日(日) [入館料:500円(2F棟方志功常設展もOK) ]
今回は、M&Y記念館がコレクションしている立原位貫作品の中から、 当代の人気歌舞伎役者2人(市川亀治郎(現・市川猿之助と片岡仁左衛門)を彫った作品が展示されています。 浮世絵の伝統を今に受け継ぐ立原位貫氏が作り上げた現代の歌舞伎役者絵を楽しんでいただける作品展です。
宮城野善平の墓すぐ傍に昔からある古い道がある。そこを少し上ると大日如来の石碑とともに、六地蔵がある。ここは散らばっていた石碑や六地蔵を集めた処ではないかとのことでした。そこを更に登っていくと堀内六郎衛門の墓へと続く道。2013.12.11取材
宮東集会所の裏手に阿弥陀堂跡があり、地元では「ミコヤブ」と呼ばれている。
また、道城ばなには古霊様の祠がある。道城の福田修一宅の庭には、大日如来座像の祠が安置され祀られている。また、その裏山に道城寺跡がある。いずれも建立の年代は明らかでない。
美作地方は幕末から昭和の初め頃まで、奉納や勧進の草相撲が盛んであった。『作州東部大相撲帳』によると、高倉地区の力士は明治21年から明治末年に29名と記されており、多くの力士が出て活躍していた。頭取(相撲の指導者)宮城野善平の門弟たちが、その功績をたたえ墓碑を建立したものである。(文:高倉の歴史と文化財より)
本社の創立年代は不詳であるが、口碑によれば備前美作の両国造となった。和気氏の祖が、この地に居住し、地名を美作国佐良の荘(旧久米の佐良山)と云えられる。和気氏祖神を当地に勧請したのが佐良神社である。
(2013.1022・10.30取材)
本神社はもと字皇子に鎮座の皇子社と字宮の各鎮座地の國司神社とを欽明天皇30年に古事記山に合祀、創建して、國司神社と称した。清和天皇貞観2年9月に譽田別尊を勧請し、社号を八幡宮と称し、綾部郷の総社として尊崇された。
当地は応神天皇御代に綾織りの職工を置かれた所で、、綾織りの業が盛大であったので、人民は天皇の御得を尊んで奉斎した。
寛文12年9月に美作国主森長継公が崇敬し、本殿を再建した。明治6年2月に村社に列し、綾部神社と改称した。明治41年11月に稲荷神社・先山神社・日尾神社・杉神社を合祀した。(昭和2年6月25日郷社に列した。)
現在、津山市内に二カ所ある酒蔵メーカーの一つで、県下唯一の女性当主、難波 弘美さんをお尋ねしてきました。作州武蔵の蔵元は、美作の国の一の宮である中山神社の門前にあります。この門前は、かつては酒屋、醤油屋と軒を連ねた名水地帯であり、途切れることなく湧きつづけているそうです。(作州武蔵, 富久迎, 津山城を始め店内には利き酒コーナーもあるとか。)2014年1月24日取材