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中山神社概要

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 中山の神は最初、英田郡楢原(美作町)に現れ、里人東内氏の奉仕を受け、次に苫田郡水無瀬川(一宮)の奥、泉水池に現れ、その後田辺の霧山に天降ったといわれる。里人有木氏の奉仕により霧山の磐座に鎮座された。永代鎮座の場所を定める目的で鵜の羽を流し、止まった所が「長良嶽」の麓の石で『羽留石』として今でも注連縄が張ってある。以後この川を「鵜羽川」といい『長良嶽の磐座』に鎮座した。

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「ギャラリー ふぅ」の作品達

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「ギャラリー ふぅ」は、陶芸家奥田福泰の生家で、築八十余年の古民家を大改造し、モノトーンを基調とした外観と内装、梁の見える空間、和紙の照明、そして薪ストーブのある陶芸ギャラリーです。「ギャラリー ふぅ」の前を流れる小川(古川)では、毎年この季節になるとホタルが出て来るそうです。また、奥田さんは、勝間田焼復活会のメンバーとしても活躍されています。(2017年6月18日撮影)

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長法寺のアジサイの花

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2017年6月24日の美しく咲いたアジサイの花です。(2010年の祭)(2015年のアジサイ)(2014年の紅葉
長法寺略縁起
  美作国金光山長法寺は天台宗比叡山延暦寺の末寺であります。
当寺の由来を尋ねるに、聖武天皇の御宇天平7年(735)行基菩薩の草創による霊場と言われ、嘉祥元年(848)第二祖慈覚大師が西国行脚の砌(みぎり)、当山に止宿し、十一面観世音菩薩を刻み、草堂を結び中興されたのであります。その後、堂塔迦藍を建立、末寺ニ十ケ寺に及び頗る盛んなものであったが、大永・天正・貞享年間にわたって再三兵火の侵す処となり、悉(ことごと)く焼失し、現今の地へは弘化2年(1845)快玄法印の移したものであります。
  当寺は又、美作西国霊場廿九番の札所であり
 ここはまたこがねの光る山なれば
  したがう法のたまやもとめん
の御詠歌があり、庶民信仰の霊場として、済世利民の益多く、今日尚益々盛んであります。 (長法寺)

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荒神社(市場)東一宮

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荒神社(4カ所) 津山市東一宮坦地区(市場)
 三宝荒神の略。カマドの神。坦地区に4カ所祀られていたが、大正3年中山神社惣神殿に合祀された。
 内方地区では、今も年1回お祀りをしている。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年2月19日撮影)

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中山神社の高麗犬(こまいぬ)

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 台石に彫られている寄進年は明和元年(1768)とある。その面貌(めんぼう)は獅子でもなく狗(いぬ)でもなくまさに猿。高麗犬の故事来歴も究めれば深いものがあるが、この中山の猿面の高麗犬は天下の奇品であり、その顔は作者の人柄を偲ばせる絶品である。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(写真:2017年4月1日撮影)

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中山神社本殿

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 天文年間戦火で炎上後、永禄2年尼子晴久により再建され元文、寛保、天保、明治、大正、昭和と大修理された。建築の大要は永禄の原形を損することなく室町の特長を残している。桁行き梁行きは各五間四尺五寸で共に三間に造り、単層入り母屋造り檜皮葺き、正面に大唐破風造りの向拝を突出し、軒には重繁垂木を分布し、軸部には総円柱板壁、斗拱は三手先、斗拱の間には正面と左右側面とに草花の透彫を挟んだ蟇肱を配し、後面中備には万束を配している。腰四方には和様の高欄をつけた廻椽を繞らし基底の下部には亀腹を作り、その下に石段を設けている。
また正面の向拝は、その棟が入母屋の裾深き甍壁より出て規模頗る雄大である。

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国の名勝の衆楽園にある「七面大天女」

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七面大天女
 七面大天女の総本山は山梨県南巨摩郡早川町にある七面敬慎院で摩尼殿に祀られている。日蓮宗の総本山 身延山 久遠寺の鎮守神、法華経の守護大善神として祀られた。
示現伝説に「日蓮聖人が高座石で説法中、若く美しい女性の姿で現れ、正体は龍で法華経を信じるすべての人々を守護するといい七面山の一の池に立ち去った」......永仁5年(1297)9月19日七面山に七面大明神として祀られた。示現伝説から七面大菩薩、七面大天女とも呼ばれ池の守護神としても崇敬されている。
 徳川家康の側室養珠院 お万の方が元和5年(1619)に七面山に初登詣して女人禁制をといたといわれている。寛永17年(1640)にも再び七面山に登詣している。
 津山への勧請は七面山妙徳庵の縁起によると、宝永3年(1706)6月4日、津山藩主松平宣富が江戸の七面明神を分祀して津山城内の厩(おんまや)濠の傍に勧請した。明治4年廃藩となり七面祠も廃社同様となった。

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衆楽園のスイレンの花

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2017年6月2日・19日に津山市山北にある衆楽園に立ち寄ってきました。今年は5月の後半から気温がうなぎのぼりで6月に入れば夏真っ盛りの様です。衆楽園のスイレンの花も昨年に比べ随分と手入れされていて鯉の泳ぐ姿があちこちに見えました。また、加茂からスケッチに来ていた元気な子ども達に声をかけるとはきはきとした返事に嬉しくなりました。ここは何度来てもいいなぁ~と思います。(2016年の様子です)(2014年の様子です)(2012年の様子です

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黒沢山萬福寺のアカガシ (津山市東田辺地内)

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『虚空蔵さん』で良く知られている萬福寺は、和銅7年(714年)に開山された真言宗の古刹である。
この萬福寺は福一万で、伊勢朝熊の智彗一万、陸奥柳井津の力一万と共に日本三所の虚空蔵尊である。
 また高峯黒沢山の頂上付近に位置しており、その眺望はまことに絶景である。
 なお、縁日は旧暦1月12~13日であったが、平成のころから2月最後の「金土日」の3日間に行われるようになった。参詣者は各地より数万人に及ぶという。
 お寺の境内に名木百選に選ばれた『萬福寺のアカガシ』がある。この木は樹林の中で最も大きいアカガシである。推定樹齢400年、目通り周囲4m。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年3月20日撮影)

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保田扶佐子美術館(第8回)常設展

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 保田扶佐子美術館の常設展(第8回)2016年~2017年「あまり日の目をみることのなかった作品たち展」というサブタイトルで開催されております。(場所:津山市押入97-11、開館時間:10:00am~5:00pm)保田さんの近況は、4月末にはスペインから帰って来られ、皆さんとお会いできることを楽しみにしておられます。今回の作品は大人はもとより、子ども達が見たら喜びそうな楽しい作品だなぁ~と感じました。また、6月28日~7月4日までは岡山髙島屋7階美術館で「保田扶佐子絵画展」があり新作25点を出品されるそうです。こちらも是非どうぞ。(2017年6月9日撮影)

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