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市内Aさん宅の庭のバラです。

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2017年5月25日にAさん宅へ伺いました。ここは素敵なお庭が造られていて、日本庭園が右半分で左半分はイングリッシュガーデンの様になっています。この庭に入るとバナナの匂いのする木が植えられていて花が咲くと本当にバナナの匂いが香ってくる素敵なお庭でした。

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津山市領家にある甲本通晴さん宅のバラ園

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2017年5月29日に津山市領家にある甲本通晴さん宅のバラ園をお尋ねしてきました。昨年もお尋ねしましたが、少し早目で蕾が多かったのですが、今年は少し遅めだったようで甲本さんから「今年は少し遅いよ」とのことでした。咲き誇ったバラの花が綺麗に撮ってと30度を超すような暑さの中でも凛として咲いていてくれて私を癒してくれました。こんなに多くのバラたちのお世話は大変でしょうね。甲本さん楽しませてくださってありがとうございました。(2016年のバラの花の取材

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中山神社の鉾立(ほこたて)石

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 中山神社は西国壱の軍神(厳島・吉備津と並んでその筆頭)であり、天下の大変・大乱に際しては朝廷より全国7社の一つとして特別の護国祈願を仰せつかる。例えば天慶2年(939年)平将門の乱、弘安4年(1281年)の元寇など。その祭事は格別の秘儀で、現小原地区内大築公園あたり、昔は鬱蒼たる「雫が森」その中に中山の離宮たる大築神社があった。
 秘祭「鉾立て」に神事は大築の境内で行われた。中央に大鉾、四方に小鉾を立て、大鉾前に祭壇を設けて荘厳神秘の深夜の祭典であったという。鉾立石はそれらの鉾を立てた基石で、上面中央に凹みがある。
 現在中山神社境内本殿南(国司神社)の段に、有志による由来記の碑とともに、その一石が置かれている。また祭事の行われた雫が森の跡あたりにもその一つが置かれ、地元の有志による説明板が立っている。 中山境内の石と小原のそれとは鉾立の凹みの形状が異なる点も興味を引くところである。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

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橋本家バラの庭園

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2017年5月25日に橋本さん宅のバラの庭園を拝見しに行って来ました。今年は満開のバラの花のアーチがいくつもあって見渡す限りのバラの花で埋め尽くされていました。そしてバラの花のたもとでは可憐に咲く色とりどりの花が咲いていました。また、橋本さんは多くの趣味を持たれていてお部屋の中では総務大臣賞に輝いた墨絵などが飾ってあり、見惚れてしまいました。

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羽留石(はどめいし)

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 中山神社の北側を流れる鵜羽川に二抱えほどの大きな岩がある。
神社伝説によると「中山の神が霧山の磐座にいたとき、永代鎮座の場所を定める目的で鵜の羽を流し、止まった所に居を構える」とした。長良川の麓の石で止まり、『羽留石』として今でも里人の寄進による注連縄が張られている。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日取材)

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唐人墓(津山市東一宮)

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 この墓は、文禄元年(1592年)豊臣秀吉(文禄の役)に捕らわれ、連れてこられた者たちの墓という。一宮の中島孫左衛門は、宇喜多秀家に従って出陣を命じられ、田辺郷や苫田郷の人々を引き連れ、海を渡り各地を転戦した。その際、全羅道松県で捕らえた城主父子達を故国に連れ帰った。
 その後、両国が和睦のとき父達は帰国し、子は妻を娶り松県に因んで松村を姓としたという。
 なお、のちに道路拡幅工事により、墓は現在地に移された。
 この「唐人墓」や東一宮の「唐人田」は、彼らの偉業を伝えるものである。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

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龍の口の行場跡(津山市一宮)

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 石碑に「大峯山役行者大菩薩」とある。吉野の大峯山や金峰山は、山岳仏教発祥の地であり、修験者の根本道場でもある。ここで修業した修験者たちが、一宮のここ「龍の口」を行場とした。元禄時代道路を拓くにあたり、岩を取り除いたので、霊験あらたかな行場は無くなり「清正公」の石碑と共に、それぞれ現在地に移された。
(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

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江原恵明会のバラ園 2017

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社会福祉法人 江原恵明会の一角に見事なバラ園があります。園内の丹精込め育てられたバラ達を今年も拝見してきました。今年は、バラのつるが剪定されすっきりとしておりました。誰でもバラ園は見ることができますが、専用の駐車場はございませんので、ご迷惑にならないようにしてご覧くださいね。(2017年5月22日撮影)(2016年の様子はこちらから)2009.5.13〜5.16取材

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清瀧寺本尊御開帳並びに開創1200年記念法開会

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2017年4月8日・9日、東寺真言宗別格本山 墨池山清瀧寺(津山市河面)本尊「二十七面千手先眼観世音菩薩」33年ぶりの御開帳、並びに開創1200年記念法開会が盛大に執り行われました。当日はあいにくの曇り空でしたが、僧侶の皆さん、檀家の皆さん、多くの稚児さん達も近くの公会堂から本堂までを練り歩きました。また、記念法開の後、午後からは大柴燈護摩法会(火渡り行)がありました。9:00~16:00まで本尊様開扉がなされ、多くの参列者が参拝しました。

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龍の口(津山市一宮)

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 一宮地域の出入り口に当たる「龍の口」は、昔は大きな奇岩と深い渕とで人馬の通行はとうてい不可能であった。近世になって里人の願いでやっと岩を切り開いて僅かに人びとの通路ができたのは元禄4年(1691年)で、さらにその後里人たちは総力を集めて路面を大きく拡げ、明和末年(1771年)頃には、中山神社の大鳥居の石材運搬の大車の通行も可能となり、それと前後して川岸の堤防も完成して、今の一宮道ができ上った。
 幕末に国事多難となり、津山藩は城郭の北の護りとして、ここに関門と番所を設け、番兵を常駐させ、厳しく往来を取り締まったが、明治2年(1868年)の廃藩により撤去した。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

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