唐人墓(津山市東一宮)

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 この墓は、文禄元年(1592年)豊臣秀吉(文禄の役)に捕らわれ、連れてこられた者たちの墓という。一宮の中島孫左衛門は、宇喜多秀家に従って出陣を命じられ、田辺郷や苫田郷の人々を引き連れ、海を渡り各地を転戦した。その際、全羅道松県で捕らえた城主父子達を故国に連れ帰った。
 その後、両国が和睦のとき父達は帰国し、子は妻を娶り松県に因んで松村を姓としたという。
 なお、のちに道路拡幅工事により、墓は現在地に移された。
 この「唐人墓」や東一宮の「唐人田」は、彼らの偉業を伝えるものである。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)

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唐人墓

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唐人墓