両山寺護法祭は、全国でも珍しい奇祭です。

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両山寺護法祭(↑上の写真提供は美咲町役場で2007年のものだそうです)
毎年8月14日深夜に行われる護法祭は、真言密教と修験道が融合した全国でも珍しい奇祭です。
祭りのクライマックスは、護法様を憑けた護法実が暗闇の中を走り回る「お遊び」の儀式で、観客は護法様に捕まらないよう逃げまわります。
 一般的に護法様(ごほうさま)が訛(なま)って「ゴーサマ」と呼ばれ、まちの人に親しまれている護法実。温厚で真面目な人であること、さらに自分の信心や信仰上の義務感から行動する人であることが、護法実になれる条件とされています。


【二上山(ふたかみさん)両山寺(りょうさんじ)】
 両山寺は、元明天皇の和銅七年(714)に開祖泰澄法師が観音の霊夢により造営した古い寺院です。高野山真言宗準別格本山両山寺と称し、御本尊には正観世音菩薩を安置しています。永禄元年(1565)尼子氏と毛利氏の千才により堂塔伽藍を焼失しましたが、元禄元年(1688)当国の大守長成公により再建されたものです。当山の鎮守護法善神は、毎年8月14日祭式(県指定無形民俗文化財)を修め、天下泰平、万民快楽、五穀豊穣の祈念を行っております。環境庁・岡山県(両山寺立て札より)



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駐車場にある案内板と暗い夜道を歩いて両山寺へ。
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厳かな雰囲気の境内です。              拝殿内も準備が整ってきました。
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名木百選の二上杉は推定樹齢1,000年です。境内には屋台が数店、そして祭りは鶴丸太鼓で始まります。
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提灯の明り取り。
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ほら貝の合図で、これからお迎えに行くところです。
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ゴー様をお迎えに御籠り堂へ向かいます。その後をついていきます。
11日から寺にこもり2時間おきに水をかぶり身を清めた護法実(ごほうざね)は本堂護法善神の使いであるカラスの憑いた護法実が暗闇の中を遊びに出かけます。ゴー様をやじったりすると捕まって命を落とす人も何例もあり、とても恐れられています。捕まった人は残って霊を落としてもらってから帰るといいそうです。それでも3年は用心した方がいいのだそうです。(関係者の方がそっと教えてくださいました。なんでも修行が足りない人の顔は赤く見えるのだそうです。今年は3人が捕まったとのことで、何事もないようにと祈りました。)
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お迎え行列が境内へと帰ってきています。寺の中では子どもや関係者が大きな声で囃し立てトランス状態にするのだそうです。
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拝殿の柱にくくりつけられた松明は、明り取りに燃やされます。
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境内をゴー様が走ってお遊びされます。       ゴー様の後姿(白い着物姿)
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一息お休みする腰掛石ですが、ここにまず人間が腰をかけて、その膝の上にゴー様が腰をかけられます。
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ゴー様が境内の燃え盛る火を踏んで走っておられます。人間イスに腰掛けてお休み中は子供たちが足をもんだり、肩をもんだりしています。今年は1時間くらいお遊びになられました。修験者の祈祷(般若心経)が途絶えたら、拍手がわき起こり、ゴー様はお帰りになられるそうです。



【霊峰二上山(ふたかみさん)と両山寺(りょうさんじ)】
 美咲町の大垪和(おおはが)地区には、美しい二つの峰を持つ二上山があります。山間に広がる棚田を見ながら、二上山に向かって九十九(つくも)折りの道 を登って行くと、山頂付近に両山寺が見えてきます。この寺は、神の宿る山を崇拝する日本古来の山岳信仰と平安密教が融合した山岳密教の聖地として、美作 (みまさか)地方にその名を知られています。
 昔から人々の厚い信心を受けてきた二上山と両山寺。元禄年間に編纂された「作陽誌」の一説には、二上山は和銅七(七一四)年に僧侶にして白山権現の信 者、泰澄(たいちょう)が開山した、とあります。そして、平安初期に泰澄の霊魂に導かれた空海が二上山に登り、金剛界(こんごうかい)と胎臓界(たいぞう かい)を山頂にみつけたことから、両山寺を興して密教の道場とした、と記載されています。しかし、両山寺の縁起は、度重なる火災で書物が焼失し、はっきり としたことは分かっていません。
 ところで、もともと両山寺は真言と天台の二大密教の道場でした。境内には、本堂や五垂塔をはじめ壮麗な七堂伽藍(がらん)が建てられ、二上山山麓には、 修行者が宿泊する二十八の僧坊がありました。ところが戦国時代、尼子氏と毛利氏との間で起こつた戦渦によって、寺の諸伽藍と僧坊のほとんどを焼失してしま いました。現存する本堂、薬師堂などは、元禄時代に再建されたものだそうです。また、時代の流れの中で天台の修行は行われなくなり、両山寺は真言宗の寺と なりました。(美咲町公式ホームページ両山寺より抜粋)詳しくは美咲町公式ホームページへ