新田(地域別/津山市/津山地域)

2018 宗平さん宅の壁バラ

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 予てから友人から「素晴らしい壁バラがあるよ」と紹介されていたので行って来ました。ここのお宅は道より少し入った所にあるお宅でしたが、なるほど、壁に幾種類ものバラがうまくコラボしていてとても綺麗でした。お話を伺うと、冬になると一旦ひも解いてまた組み上げるそうです。すごく大変な作業ですが、ご主人が手伝ってくださるそうです。愛情いっぱい育てられた壁バラでした。(2018年5月19日撮影)

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2018 宗平克之さん宅のバラたち

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 このお宅は道に迷って偶然出会えました。ここは、とっても自然とマッチしていて「やはり野に置け蓮華草」のことわざがあるように、草花がもっとも美しく見えました。奥様曰く「お花が好きで植えているだけです。娘がインターネットで買ってくれます。特別な事は何もしていないので・・・」と謙遜されましたが、いえいえとても自然体で美しいバラや沢山のお花たちです。(2018年5月19日撮影)

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2018年 橋本さん宅のバラ園

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2018年5月19日・24日に津山市新田の橋本さん宅のバラを拝見してきました。
晴天になった5月24日には北里みゆき歌謡ショーがあり、知人友人が沢山来られていて、みゆきさんの歌に酔いしれていらっしゃいました。沢山のお花に囲まれて至福のひと時を過ごさせていただきました。バラの花はまだまだツボミも多く、オープンガーデン期間中の28日まで当分楽しめそうです。

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2018 Aさん宅のバラの花たち

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2018年5月19日に津山市新田にあるAさん宅のバラの花たちに会いに行って来ました。昨年も庭園内を拝見しましたが、今年は昨年とまた違ってすっきりとした中にも全体的にゴージャスな感じでした。また、ここのお庭には通称バナナの木があって、今年も満開でいい香りが庭中に漂っていました。

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朝日神社(新田)

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 本神社は第26代継体天皇の御代に、当時神祇伯が素盞嗚尊は国土鎮護の神であるから、これを日本国内の川の西々、または山の尾前に勧請させられた。美作国にも旭川の西の木山宮、吉井川の西の上山宮、吉野川の西の高比野宮、広戸川の西の新田宮等がその時の鎮祀である。もと朝日大明神・新田宮・天王宮・牛頭天王社と称したが、明治4年朝日神社と改称した。昭和16年神饌幣帛料供進神社に指定せられた。御祭神 素盞嗚尊,武仁親王 旧社格 村社 (文:岡山県神社庁HPより)(撮影2017年10月14日)

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市内Aさん宅の庭のバラです。

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2017年5月25日にAさん宅へ伺いました。ここは素敵なお庭が造られていて、日本庭園が右半分で左半分はイングリッシュガーデンの様になっています。この庭に入るとバナナの匂いのする木が植えられていて花が咲くと本当にバナナの匂いが香ってくる素敵なお庭でした。

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橋本家バラの庭園

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2017年5月25日に橋本さん宅のバラの庭園を拝見しに行って来ました。今年は満開のバラの花のアーチがいくつもあって見渡す限りのバラの花で埋め尽くされていました。そしてバラの花のたもとでは可憐に咲く色とりどりの花が咲いていました。また、橋本さんは多くの趣味を持たれていてお部屋の中では総務大臣賞に輝いた墨絵などが飾ってあり、見惚れてしまいました。

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橋本さん宅のバラとお花畑

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2016年5月21日(土)橋本さん宅のバラ園をお尋ねしてきました。お庭に入るとほんのりとバラの香りがしてきます。奥へ進むとお花畑があり、バラ以外にも沢山の種類のお花が咲いていて見ごたえがあるお庭ですよ。奥様が丹精込めてお世話されたお庭の花を拝見できると思います。(前回の取材)
また、オープンガーデンは、5月28日(土)・29日(日)、6月4日(土)・5日(日)に行い、6月5日午後2時からは北里みゆきガーデンコンサートもあるそうです。(雨天中止)

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福井 源平の古戦場を語る新宮城址

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 福井の南部、土居の公会堂付近に、真宮神社の鳥居や花壇があり、その地点より山手へしばらく上がると、海抜204mの平坦な山頂部に達する。ここに福井と新田にまたがって古い城跡があり、新宮城跡と言われている。展望のきく南側は、広戸川に面して急峻な岩肌が切り立っており、城としては天然の要塞を思わせるものがある。
 山頂の平坦地は、南北およそ40間(約70m)・東西180間(約200m)の広さがあり、中間に長さ40間余の土塁らしきものが残されている。かっては、土塁の西側に建物の本拠があり、広い東側は、城郭内の広場や城兵糧食の耕地であったと言われている。この新宮城跡については、源平のころからの古い歴史をもつだけに詳細不明で、城主についても異説があり、名称すら新宮か真宮か判然としない面があり「東作誌」等でも謎に包まれた記述がされている。
 しかし一般にはあまり知られていないが、明治末年に書かれた新宮城の詳しい伝記本が存在している。安藤十朗氏著「霊夢 神宮山木下伝記」(和綴じ全5巻付録1巻 福井 安藤六衛氏蔵)がそれである。
 平安後期に平氏一門の木下氏が拠点として築城した様子から、源平合戦で滅亡するまでの経過を、年代をふまえて克明に記録した伝記である。2012.6~12月取材

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