綾部の花桃通りを発見!
2021年4月5日の綾部の花桃通りです。
津山市綾部の県道近くのお宅の庭先に可愛いお花が植えてあり、その花に誘われて脇道に入りそのままどこに通じているんだろうと進んで行くと、しばらくして花桃が綺麗に咲いている処に出くわし、車を止めて散歩している方にお話を聞くと、「すぐそばの脇道から入ると凄くきれいな花桃の通りがあるよ。」と教えてくださったので早速写真に撮ってきました。そこは、工業団地すぐ傍の細い道路で花桃が美しく咲く道でした。勿論、発見した時は感動ものでした。
2021年4月5日の綾部の花桃通りです。
津山市綾部の県道近くのお宅の庭先に可愛いお花が植えてあり、その花に誘われて脇道に入りそのままどこに通じているんだろうと進んで行くと、しばらくして花桃が綺麗に咲いている処に出くわし、車を止めて散歩している方にお話を聞くと、「すぐそばの脇道から入ると凄くきれいな花桃の通りがあるよ。」と教えてくださったので早速写真に撮ってきました。そこは、工業団地すぐ傍の細い道路で花桃が美しく咲く道でした。勿論、発見した時は感動ものでした。
2020年1月12日(日)、津山勤労者総合福祉センター(津山市勝部)内、体育館において津山地域少林寺拳法の鏡開き式兼新春法会が開催されました。到着すると体育館内からは元気な声が聞こえてきました。また、来賓の皆さんも多数駆け付けてこられていました。
毎年、寒い冬に裸足で稽古をする拳士たちを見てきましたが、今年は暖冬で素足でもさほど寒く感じられないように見えました。稽古が終わったら、保護者の皆さんがつきたての餅で、お雑煮や、ぜんざい、きなこ、キムチ餅を振舞ってくださって拳士たちは美味しそうに食べていました。
2018年11月3日真っ青な空の下で執り行われた勝部神社のお祭りを取材してきました。
11月3日は津山市内は最後のお祭りでしょうか、あちらこちらでお祭りが行われています。
「勝部」というのは、勾玉、玉、鏡など研磨する仕事をさし、一説には様々な職能集団の長(統括者)的役割を担うとも言われています。
「勝」とは、磨くという意味があり。この地域には、そういう職種の人がいた場所であり「五十年程前には、東地区の池付近で水晶を取った事がある。」と言う方も居られ、産出もしていたのではと考えられるそうです。詳しくは勝部神社の取材記事で。
臨済宗 妙心寺派 雲黄山 大帯寺(2014年5月29日撮影)
この寺は、東作誌(江戸時代後期の文化年間=十八世紀初めごろ編纂された美作東部六郡の地誌)によると、鎌倉時代前期の承久三年(1221年)に、幕府の第二代執権・北条義時(ほうじょうよしとき)に敗れた大内俊之(おおうちとしゆき)がこの地に逃れてきて自害したので、その跡に一宇を建立し、俊之が携えていた観音像を安置して、大内寺(おおうちじ)と称したのが始まりとしている。
南北朝時代の貞和五年(1349年)には、室町幕府の管領職・細川頼之(ほそかわよりゆき)が十一面観音(御本尊)を納め再興して大帯寺(だいたいじ)と名付け、江戸時代の寛永二年(1625年)には臨済宗に改宗したと伝えられる。(文:大雄寺提供)
桐の木水車は津山市内で現役で稼働している共有の米搗き水車としては唯一のものです。昭和30年頃まではどこの村々でも共同で水車が維持管理され、村の生活と田園風景を構成していました。この桐の木水車も昭和初期に建設され地元「水車講連中」により維持されてきました。
しかし、この間の風雪の中で、破損が進み使用もままならない状況になりつつあり、今回「桐の木水車の会」を結成し、多くの人の協力により水車の修理を行いました。
この桐の木水車を私たちは津山の農村風景のシンボルとして維持し、次代に伝えていきたいと考えています。(文:案内板より)
2014年1月31日に勝部の団地に咲く山茶花の花です。このお宅の山茶花は木が大きくてお家の周りに植えられたものですが、びっしりと花が付いているのです。この付近のお散歩に行かれる方は一度ご覧ください目の保養になりますよ~。
勝部にあるお家のイルミネーションも素敵でした。
「このラモスカップを無駄にしたくない。子どもたちの将来に役立ててくれればいい!その為にやっている。」と語って下さったラモスさん。
「子ども達はもっともっとサッカーを好きになって、みがいていかないといけない。
うまくなりたければ、練習をする。誰よりもうまくなりたいと思う気持ちを持ち努力すること。
最後まで諦めない!気持ちが大切。
日本人は精神面が特に弱い。これからの監督が子ども達に、もっともっと情熱を持って、子ども達がうまくなる為に必要なマナーについても厳しく教えていかなければいけない。」と熱く語るラモスさん。
勝部神社について
一(名前について)
昔は様々な仕事に其の職種ごとに名前があり、住む地域も決められていました。今もその名残として、それらの仕事に従事していた地域の名前が残されています。(綾部、倭部(志戸部)等
「勝部」というのは、勾玉、玉、鏡など研磨する仕事をさし、一説には様々な職能集団の長(統括者)的役割を担うとも言われています。
「勝」とは、磨くという意味があり。この地域には、そういう職種の人がいた場所であり
「五十年程前には、東地区の池付近で水晶を取った事がある」と言う方も居られ、産出もしていたのではと考えられます。
▲この日は市民の方がギャラリーとして約200名の方々が参加してくださいました。
11:30~18:30までの予定が大幅にづれ込んでしまったのですが最後までお付き合いくださった市民のみなさんにスタッフのみなさんも大いに感謝されていました。
山下リオ(坂井ひろこ)・増田修一朗(松本大樹)・坂本純一(鈴木良)
沖縄国際映画祭 津山編 2011年2月13日(日)「ホルモン女」津山勤労者総合福祉センターでの撮影風景