種(地域別/津山市/津山地域)

洗顔清水周辺の景色(種)

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 津山市種にある洗顔清水周辺の景色はいつ見ても心が癒されます。後醍醐天皇が通られたという説に納得してしまいます。
 この道は、毎年「さらやま時代まつり」のイベントが行われる所でもあり、歩くと道の両脇に季節が感じれます。山々の景色、また、野菜や庭先のお花など自然がいっぱいで大好きな所です。(2020年7月25日撮影)

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第22回 さら山時代祭

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 2019年11月10日(日)9時00分〜15時00分 今年は素晴らしい天気に恵まれて心もウキウキです。青空の下佐良山小学校から、御醍醐天皇が顔を洗ったとされる洗顔清水までを時々バスを利用しながら歩いてきました。途中で時代行列とも出会いました。美味しいうどん、焼きそば、ピザにたい焼きなどに舌鼓を打ちながら、空手や踊りなどのステージイベント、抽選会もあり盛りだくさんの行程でした。

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さら山時代祭2018

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 津山市佐良山地区の出雲街道沿いで、第21回「さら山時代祭」が2018年11月11日午前9時から午後3時10分まで、佐良山小学校~種(津山市佐良山地区で3kmに及ぶ)で開かれました。後醍醐天皇配流時をイメージした時代行列(カキタニ古墳から洗顔清水まで)、屋台、ステージ、スタンプラリー、バザー等が人気でした。また、小学校体育館で行われたオープニング・エンディングイベントでは餅まきや、抽選会などが賑やかに行われました。

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2017年 さら山時代まつり

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 2017年11月12日津山市さら山地区一帯で「第20回 歩いてみんちゃい さら山 さら山時代祭」がありました。毎年行われる時代祭は雨で泣かされることもしばしばでしたが、何とか天気ももって午後には日差しもあり、ウォーキングするには好都合でした。カキ谷古墳~洗顔清水の約3.5kmですが、歩いているのは年配者が多かったようです。周囲の景色を愛でながらウォーキングをすると健康的かつロマンを感じまう。また、お腹いっぱいで良い事ずくめでした。さら山地区の皆様お世話になりました。
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多禰神社(津山市種)

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多禰神社(旧村社)、主祭神:天児屋根命、例祭:十月十日、境内地:四二二坪、主要建物:本殿・拝殿・社務所
 由緒沿革 本神社創建年月由緒等不詳。もと春日神社、八幡神社、荒神社が各地に鎮座していたのを、元禄十二年十二月 村の中央の宮山の地に合祀して、多禰神社と改称した。
(文:『岡山県神社誌』より)(2017年10月9日撮影)

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観音様(津山市種)

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 津山市種地内県道449号線沿いに、後醍醐天皇が隠岐へ配流の際に立ち寄り洗顔したことから「洗顔清水」と呼ばれる所があります。そのすぐ上の道沿いに観音様がおられますが、いつ行っても綺麗なお花が供えられていて地区の人々に大切に祀られています。(2015年11月11日撮影)

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中部第七十二番霊場(津山市種)

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津山市種にある中部第七十二番霊場(2016年11月13日取材)
岡山県道449号押淵皿線県沿いに、ひっそり佇んでいるお社の横には燈籠があり、道行く人を見守ってくださっています。また、綺麗な祠を見ると地域の人達が大切にお祀りされている様子が解ります。

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後醍醐天皇御駐輩伝説地(津山市種)

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後醍醐天皇御駐輩伝説地(2015年11月11日撮影)
元弘2年(1332年)3月鎌倉幕府打倒の計画に失敗した後醍醐天皇は、幕府の武士らに護送されて隠岐島に配流された。天皇の一行は京都を発って、山陽道を経て、姫路付近を出雲街道にとり、杉坂峠を越えて、美作に入った。そこにしばらく滞在したのち雲清寺というところに至った。この雲清寺が、ここより東方、約300メートルに碑があるあたりと考えられている。その東約100メートルには、昔からいかなる千害にも絶えることのない清水があり、天皇はそこで顔を洗ったと伝えられる。今も地元の人々は洗顔清水と読んでいる。再び輩の人となった天皇は、この峠を越えるとき遠望する山が古歌に名高い久米のさら山と聞き、自らして筆をとって詩を
 聞きをきし久米のさら山越えゆかん
  道とはかねて思ひやはせし  と詠んだ
 こののち、天皇は院庄に入って、児島高徳のひそかなはげましを受けた。そして再起を期しつつ隠岐に旅立っていった。この非運の天皇をしのび、大正15年土地の人々によって、顕彰碑が建てられ、先の歌を刻み、後醍醐天皇御駐輩跡として後世に譲り伝えている。
 平成21年11月8日 さら山時代祭実行委員会 種町内会御駐連場(文:案内板より)

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洗顔清水(後醍醐天皇伝説地)(種)

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洗顔清水(後醍醐天皇伝説地)
 元弘2年(1332)3月後醍醐天皇は鎌倉幕府討滅計画の失敗により隠岐島に配流された。その際、美作通過の行程について「太平記」や「増鏡」によると、播磨との国境杉阪から雲清寺、久米のさら山をへて院庄に入ったと推定される。
 このうち雲清寺の所在については直接のてがかりがなく、配流の具体的な道筋はなく不明とされてきた。そこで、幕末の国学者平賀元義らは、久米のさら山を詠んだ後醍醐天皇の歌「聞きをきし久米のさら山越えゆかん道とはかねて思ひやはせし」の「越えゆかん」の句などから、天皇の配流の道筋を押淵から種をへて皿に至る山越えの古道とした。そして雲清寺をここより西約100メートルの多祢神社東の峠付近と考証した。その途中のこの場所には、昔からいかなるひでりにも絶えることのない清水があり、天皇はここで顔を洗ったと伝えられる。今も地元の人々は洗顔清水と呼び、後世に守り伝えている。
平成10年2月 津山市 (津山市案内板より)(2015年11月11日撮影)

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2013年11月10日「さら山時代祭」がありました。

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2013年11月10日に、第16回 さら山時代祭が小雨の中執り行われました。

イベント盛りだくさん。餅つきから、健康チエックまで!各町内会がだす屋台も多く、品数豊富。さらにシールラリーも!当日は小雨が降って肌寒い日になりましたが、後醍醐天皇が通った道をゆっくり歩く時代行列はおなじみになっています。

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