ただいま6月22日に発生したサーバ障害の影響で一部コンテンツを正常に閲覧できなくなっています。皆様にご迷惑をお掛けして誠に申し訳ございません。

小田中(地域別/津山市/津山地域)

第80回 美作国万灯会

30mantou7.jpg

 2019年6月29日(土)津山市小田中の本源寺に於いて「第80回 美作国万灯会」が美作国万灯会実行委員会主催で執り行われました。夜の8時過ぎに伺ったので生憎の雨模様になりましたが、多くの市民の皆様が参拝されていました。また、特別拝観が7月1日~7日まで、7月7日には初代津山藩主 森忠政公毎歳忌法要があり、特別講演もありました。(2017年の様子です。

第80回 美作国万灯会の続きを読む

荒神社(小田中西松原)

koujin-suidou3.jpg

 小田中西松原の荒神社
小田中の西松原(小田中水道局の西)に荒神社があります。荒神社の由来など解らないので、町内の年配者の方にお聞きすると「子どもの頃よく遊んでいましたが、由緒などは解りません。覚えているのは境内には家はなくて広々としていました。また、鳥居の位置がその頃とは変わっていますし、今となっては詳しい事は誰も知らないんじゃないでしょうか。」と教えて下さいました。今でも年に2回ほど集まって祭礼をしておられるようです。(撮影:2019年3月2日)

荒神社(小田中西松原)の続きを読む

小田中散歩でみつけたアケビの花

oda-sanpo12.jpg

 2019年4月21日に小田中界隈をお散歩してきました。夕暮れ時のお散歩、可愛い花たちとの出会いが楽しみの一つです。今回の散歩でみつけたのはアケビの花です。可愛い無数の花が咲いていました。
 アケビの花言葉は「才能」。実の中や皮を食べることができ、つるは工芸品に、種は油に加工されるなど用途が幅広いことにちなんでいるそうです。「唯一の恋」は、雄花と雌花が離れて咲く姿に由来しているといわれています。また、アケビは、ビタミンCとカリウムの量が多いそうです。(HORTIより)

小田中散歩でみつけたアケビの花の続きを読む

神田(小田中)

shinden2.jpg

神田のおこり
 慶長9年(1604)に森忠政公が美作の太守として城下町を造る際に、各小川の流れを吉井川に集めました。当時は、紫竹川の支流が新田地区を流れていましたが、廃川となりそれが新田の開拓の源になったようです。

神田(小田中)の続きを読む

田中(小田中)

tanaka01.jpg

 小田中の由来は田中郷からです。『和名抄』には、田中郷は苫田郡七郷の一つと書かれています。当時の田中郷は、西は現在の筋違橋から東の宮川まで、北は上河原から南の吉井川まで広い地域であり、城西通り一帯は河川敷であったと書かれています。田中の地名も田中郷に由来しています。
 町内の中心には白加美守護神、田中北部に農業の守護神の2社があります。

田中(小田中)の続きを読む

西新座西・西新座東(小田中)

nishishinza10.jpg

 寛永14年(1637)城西小田中村のうち本源寺から聖徳寺までの間に開いた侍の屋敷町で、大塚兵庫ら15人が住んだのが始めであるといわれています。元禄元年(1688)には戸数30戸ありましたが享保年間(1716頃)に屋敷を撤去して農地としました。現在150戸ほどありますが、城西通りの開通で風景も変わり住宅地帯の表情をみせています。西新座の一角に津山市立西小学校や城西保育園があります。大正15年(1926)ごろ建設され津山西尋常小学校として授業がおこなわれ、現在250人ほどで少子化の現状です。学校の裏側に昭和50年ごろ、スーパーニシナ・サンバレー店が開店され、食料品や生活雑貨など販売の店舗として繁盛していましたが、近くに近代的な大型スーパーなどの進出によって、しだいに客足がすくなくなり、平成13年の年末に閉店しました。

西新座西・西新座東(小田中)の続きを読む

新屋敷(小田中)

shinyashiki3.jpg

 新屋敷町内は旧出雲街道沿いの安岡町北方の竹林を開いて足軽屋敷が設けられたのが始まりと言われています。その後、藩の縮小により廃止されました。東に西新座西、西に西松原、北に神田、西陵団地と隣接しており城西通りが町内の中心を東西に通り、飲食店・衣料品店が並び昔の田畑は無くなりました。
 町内の寺社は聖徳寺と荒神社があり、聖徳寺では7月30日に「われい祭り」が盛大におこなわれています。荒神社は夏・秋祭りの他に「いのこ」の行事が子ども達に受け継がれています。「薮の鼻」には「愛染寺奥の院」の大師堂があり、毎月20日には総代を始め檀家の皆様によりお参りがなされています。

新屋敷(小田中)の続きを読む

笠松(小田中)

kasamatsu002.jpg

 城西地域の中で北西の位置にあり、市街地から少し外れた丘陵地の見晴らしの良い高台にあります。戸数は100戸少々で東西に長く、面積はかなりあるものの家は点在し坂道が多いです。
 昔は30戸余りの野菜栽培の専業農家ばかりの小さな町内で、畑地帯で市民の台所でしたが、町の中心部に近いことから新興住宅地として戸数もどんどん増え、今は農家は少なくなりました。笠松地内に西陵団地ができ、やがて独立町内になりました。
 笠松の名前の由来は江戸時代この地帯は大きな松が茂り笠のようであったということでです。その松は今は全く無い畑地帯になっています。山を切り開いて畑にしたので山畑地帯とも呼ばれています。

笠松(小田中)の続きを読む

西陵団地(小田中)

seiryodanchi4.jpg

 昭和54年(1979)5月1日に津山市小田中笠松地内に誕生しました。そして昭和59年(1984)1月に町内会として独立しました。
「企業は人なり、額に汗して社会に奉仕する人々のより幸せを求めて、この西陵の地に新しいまちづくりが完成いたしました。」西陵花壇の三本のくすのきの下に、この言葉が刻まれた石碑があります。
 昭和48年春、岡山県立津山商業高等学校OB中心の、津山市内企業26社で協同組合西陵団地設立、組合企業従業員の持ち家制度として83区画の建設事業が始まりました。

西陵団地(小田中)の続きを読む
これより以前の記事