大谷(地域別/津山市/津山地域)

神南備山にある「磐座」

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 神南備山にある割れ岩なので古代出雲王国の祭祀の場所だと思われます。神南備山は円錐形になっており、蛇がトグロを巻く姿を古代の出雲族の人たちは思い信仰していました。今でも出雲大社にいくと龍蛇神が祀られています。コロナ禍の終息を願い天津祝詞と『ひふみ祝詞』お経を唱えてきました。
 割れ岩に至る山道には途中に作陽高校が開墾したと言われている場所もあり、歴史の断層を辿りながらの探訪でもありました。一緒に行った方の姿が見えなくなり先に下山したのだろうと話をしていましたが、山道で道を間違えると大変なことになるので電話をしてみると全く違う道を降りていたようで、1つ間違えると事故にも繋がるところでした。親父が山に入る時には山の神に挨拶して入らないと怖いと、よく聞かされていたことを思い出した山登りでした。
 神南備山から岩が転げ落ちて高野神社のオノコロ岩(現在はありません)になったと伝えられていますが、これは古代出雲王国時代(神南備山信仰)からヤマト政権に移行した出来事を神話として伝えたのではないかと思っています。(レポート・写真:和仁隆明氏)(2022年2月8日撮影)

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約100年前の津山駅舎

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津山駅
津山駅開業後の駅広場 人力車と近代自動車 手前は荷馬車を曳く  時期:不明(大正)

 2022年1月、津山駅前周辺の商店街活性化のために長年尽力された河部克己さんからお借りしました。本人から掲載許可をいただいております。
 いろいろと昔の写真を集め、パネルにして大切にしておられます。100年前の津山駅の姿がわかり嬉しく思ったと同時に、私だけではもったいないという気持ちになり、みなさんにお披露目します。(2022年1月8日取材)

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懐かしの津山駅前「明宝会館」1960年代

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明宝会館前の広場が出来上がっている。明宝会館は屋上の一部は未完成。
映画は「暗夜行路」・時期:昭和34年(1959)

 写真は2022年1月8日、津山駅前の移り変わりを、長年駅前周辺の商店街活性化のために尽力されたスタジオK2、エイコ美容室などを展開されている(有)プランニングオフィスK2会長の河部克己さんに教えて頂こうとお尋ねしたところ、河部さんが大切に保管しておられた貴重な写真(約62年前)を見せて頂き、懐かしくもあり、嬉しくもありで感動しましたので、ここに記念として載せて広くみなさんに紹介したいと思います。懐かしい人には懐かしく、そうでない人にはそれなりに。

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津山まなびの鉄道館と旧津山扇形機関車庫

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 2020年7月24日(スポーツの日・祝日)小雨降る中、津山まなびの鉄道館へ立ち寄って決ました。
駐車場に着くといきなり満車でしたが、幸運にも1台分が確保できラッキー。早速中に入ると、大勢のみなさんの傘をさしての見学姿に少しびっくりしました。それだけ知名度も上がってきたということでしょう。思えば、鉄道を愛する有志の皆さんが埋もれていた鉄道遺産を守ろうと立ち上がったのがきっかけだったと思います。旧津山扇形機関車庫(機関庫) みまさか鉄道近代化遺産(2007年)

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産業考古学会推薦産業遺産「旧津山扇形機関車庫と転車台」

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産業考古学会推薦産業遺産「旧津山扇形機関車庫と転車台」
 旧津山扇形機関車庫は1932(昭和7)年、鉄道省工作局が通達した「扇形機関車庫設計標準図」の丙種(へいしゅ)にあたり、姫新線が全線開業した1936(昭和11)年に竣工。
転車台は1917(大正6)年、内閣鉄道院が通達した図面番号「G2-1」60フィート(18.3メートル)下路式(かろしき)で、姫新線の前身となる作備線(津山口~津山~新見間)が開業した1930(昭和5)年に設置。同施設が鉄道遺産として学術的文化的にも貴重であることから、産業考古学会により「推薦産業遺産」に設定されました。2019年6月2日

津山まなびの鉄道館では、新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言を鑑み、

感染拡大防止の観点より令和2年4月20日(月)から令和2年5月11日(月)までを臨時休館いたします。

 また、令和2年5月12日(火)より再開をする予定ですが、

今後の新型コロナウィルス感染症の影響により、

休館期間の延長や屋内施設の閉鎖、予定しているイベント等を変更する場合もございます。

こちらにつきましては、ホームページ等でお知らせいたします。

 ■津山市観光協会 公式ホームページ

http://www.tsuyamakan.jp/

 大変ご迷惑をおかけいたしますが、何卒、ご理解賜りますようお願い申し上げます。


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石山寺のぼたんの花

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 4月がも終わろうとしている30日に津山市大谷にある石山寺をお訪ねして来ました。石山寺には、ぼたんの花が沢山植えられて綺麗に咲いているとの情報があり行ってきました。少し道が細くなっていて車で対向する場所がほぼ無いので、歩いて散歩がてらに登られる方が多いのではと思います。登り道は、春には山桜がとても綺麗に咲き、山ツツジも沢山みられるところでもあります。また、秋には紅葉が美しい道で散歩におすすめです。(2018年4月30日撮影)

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DD16形ディーゼル機関車

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DD16形ディーゼル機関車
 軌道構造の弱い簡易線に投入する機関車は、軸重が12トン以内に制限されている。そのためDD13形やDE10形を入線させることができなかった。そこで、C56形など軽軸重蒸気機関車と置き換えるために開発されたのが、全長12mのDD16形である。DD51形初期形のエンジンDML61形を出力800PS/1,330rpmに抑え、最高速度を75km/hとした。25km/hで走行した場合、10‰で約400トン、25‰170トン、33‰では100トンの牽引が可能である。1972(昭和47)年から1974年の間に65両製造され、大糸線を皮切りに、四国を除く全国に配置された。そのうちの4両は1979(昭和54)年から1983年にかけて除雪用に改造され300番台となり、飯山線と大糸線で使用された。DD16-304は2015(平成27)年8月、金沢総合車両所から津山に来た。(2016年7月24日、11月1日撮影)

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DE50形ディーゼル機関車

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 1970年(昭和45年)に国鉄が日立製作所笠戸工場にて製造したディーゼル機関車です。 本形式は津山扇形機関車庫に保管される1両しか製造されていません。
 当時既に大量配備されていたDD51はディーゼル機関を2基搭載することによる 保守費用の増加の問題を抱えいた他、重量の問題で支線区での運用にも制限がありました。 また、支線区用として開発されたDE10は出力が小さく、速度面の問題がありました。 これらの問題を解決するため、 "DD51の代替・後継となり得る出力"と"DE10のように 支線等でも運用できる重量及び高い保守性"を両立した、 最強の純国産ディーゼル機関車の開発がスタートしました。そして誕生したのがこのDE50です。

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