津川ダムの紅葉 2022(1)
2022年11月7日の津川ダムの初々しい紅葉です。
津山中心部から約40分くらいで行けるところで、岩盤に生えた木々が色づいてきていて綺麗でした。今でも美しいのですが、もう少し先に来れば更に美しい景色と出会えると思います。
ダム下流のふれあい広場にはキャンプ場があり、夏には家族連れがバーベキューなどで楽しんでおられにぎやかです。
2022年11月7日の津川ダムの初々しい紅葉です。
津山中心部から約40分くらいで行けるところで、岩盤に生えた木々が色づいてきていて綺麗でした。今でも美しいのですが、もう少し先に来れば更に美しい景色と出会えると思います。
ダム下流のふれあい広場にはキャンプ場があり、夏には家族連れがバーベキューなどで楽しんでおられにぎやかです。
2022年10月27日皿川沿いの真っ赤に染まったコキアが見ごろを迎えていました。
津山市平福にある佐良山公民館近くの皿川沿いで、美しく紅葉したコキアを眺めたり、写真に収めたり道行く人々を和ませています。
コキアは、観賞期間が長く、春には青々として円錐形の整った形で生育し、秋には紅葉して美しく色づき、明るくさわやかな印象を受ける春まき一年草です。ホウキギの和名のとおり、刈り取って陰干しして、草ボウキをつくるのに利用されます。ホウキにして庭を掃くと落ち葉などを簡単に掃くことができ、私のお気に入りです。
早栃阿弥陀堂(加茂郷88ヶ所霊場第24番札所)
創建年代は不詳である。明治5年高福寺によって再建の法要が営まれている。西向山極楽禅刹(寺)と伝え、屋根は寄せ棟萱葺きであったが昭和30年代にトタン葺きとしている。
お籠りや数珠まわしも行われていたが、数珠まわしは堂内が狭いので、中でちょっとまわしてあとはかついで外でまわしていた。ここも加茂谷88ヶ所霊場の一つとされ、阿波村内巡礼の最後の場所となっていた。本尊は阿弥陀如来(木彫蓮華台立像金色、高さ52㎝を厨子に納める)(文:『阿波村誌』より)(2020年11月14日撮影)2022年現在は大高下薬師堂も合祀されているようです。
2022年10月18日に津山市領家1163-6にある甲本通晴さん宅のバラ園をお尋ねしてきました。
お電話いただき、急遽、駆けつけてみると咲き始めたバラ達が元気よく出迎えてくれました。今年は、秋に沢山咲くようにと剪定をされたそうです。昨年より沢山の花で蕾も多く感じられました。
爽やかな秋晴れの中、バラの花に囲まれ至福なひとときでした。まだまだ沢山のつぼみが付いているのでこれからが本番になります。お花好きの方はぜひどうぞ!
津山市加茂町物見奥土居にある物見奥大師堂(加茂郷88ヶ所霊場第28番札所)です。
奥土居の防火水槽前の県道の上にあり、本尊は阿弥陀如来です。
創建年代は不詳であるが堂脇にあった銀杏の老木からみてかなり古い時代からここに建てられていたようである。
堂は下沢地区の中央にあり、下沢公会堂が別に昭和52年に建立されるまでは、すべての集会・地区行事の時には堂内が使用されたので30有戸全員の集合できる広さがあった。
百万編念仏・二夜三日念仏には当番が世話をしておにぎり煮物を持ち寄り、高福寺より大きな数珠を竹ノ下と交代で若衆が担いで帰り、堂内で輪をつくり念仏や心経を唱えながら数珠廻しの行事を行った。この行事は太平洋戦争中に中止された。
加茂阿波88ヶ所霊場巡拝が盛んな頃は札所とし賑やかに利用さえた。現在のお堂は近年再建されたものである。
堂脇の銀杏は周囲が4mからの大木で秋には黄金の葉色が殊に輝き阿波村入口の名木として村民から愛されていたが、人家の屋根の上まで枝が広がり古木のため台風や積雪による予期せぬ災害のおこることも憂慮して、阿波村はついに昭和55年惜しみつつ伐採したため堂は孤立し淋しくなった。
本尊は釈迦如来(金色木彫蓮華台座像、高さ53㎝を厨子に納める。)左側に弘法大師を並べて祀る。
加茂町大字青柳、白金山の東側、通称クダケ山の一画(町道知和青柳線から東約40m)にある。昭和53年9月までは現在地の南方約300mの地点にあったが、ほ場整備実施に伴い、現在地に移転祭祀された。
その由来は遠く現在地の西北約300mの地点、今も伝えられる藤田(とうだ)屋敷に、藤田(とうや)弥五郎という人が住んでいた。その妻が病死したので、近くの竹薮に埋めたところ、3・4年の後竹薮の中から、女の泣声が毎夜聞こえるので、死体を発掘してみると、右の耳から左の耳に竹の根が貫いていた。これを取り去って長田高下の麓に葬り替え手厚く祭った。
占う人あり、ここにお詣りすれば、耳病一切にご利益があるとのことで参拝者が多くなり、文久3年4月に湯頭の亀太郎なる人が発企し、浄財を集め、耳王明神として碑を建立したのが、現在の耳塚様である。
今も耳の悪い人が「穴のあいた石を持ってお礼詣りをします」と願をかけて、広く遠くからも参拝しており、願開きに供えられた穴のあいた石の数は碑の周りに山をなす。
地元ではこの地に移転した9月の第一日曜日を例祭日と定め、毎年お祭りをすることとしておる。(文:現地案内板より)(2022年10月4日撮影)
地元では大師堂と呼んでいる。創建年代は不詳であるが、古くから加茂谷88ヶ所霊場の一つとされてきた。
昭和30年ごろまでは四方寄せ棟の萱葺き屋根であったが、その後トタン葺きに変え、昭和40年ごろ牧道大ヶ山線開設のため現在地に移転し、同時にインベン瓦葺きとした。
百万遍念仏、二夜三日念仏供養などの行事やお籠りなどの行事が行われていたが、念仏の数珠まわしの数珠は中土井地区との共同品であったものを、いつごろからか半分に分けて用いた。地蔵堂には、「加茂谷88ヶ所第56号番 西谷世話人 西山品吉 草苅貞治と書かれた木札が残っている。本尊は地蔵菩薩である。(石彫座像、高さ27㎝)
創建年代は不詳である。口碑によれば、このお堂には地区内各所に祀られていたものを集めたともいい、延享2年(1745)8月15日、天保5年(1834)と墨書された厨子もある。
従来は堂内の床は板張りで間口に戸はなく、百万遍念仏、お籠りなどの際にはムシロ持参であったが、昭和62年ごろ入口に戸を立て、畳を敷いた。今では地区内の女性有志によって毎月20日大師講を開催している。
本尊は弘法大師、中には光背(残欠)のある仏立像があるが、その両側の五個の厨子の内三個は高座の弘法大師である。
物見峠を越えて因幡国へ通じる県道(旧因幡街道)の改修について、以前この県道は、公郷から下津川までの間を松ヶ乢(たわ)越といって、現県道より上の山腹を通じていたが、明治中期頃に現在位置の道筋に変更されている。
この詳細については不明であるが、明治19年頃に勝北郡堀坂村より物見村までの改修工事が行われたことが、豊岡貢所蔵文書によってわかる。
また、桑原地内の旧道は、旧加茂東小学校前を通り、井手の上手から井手に沿って藤の木までであったが、これは昭和3年(1928)3月の因美線津山-加茂間の開通にともなって大改修が行われ、道筋も公郷・桑原両地内をほぼ直線で貫通する現県道筋となった。
その後、この道路は、昭和37年(1962)10月の県営黒木ダムの建設にともなう資材輸送のために拡幅・整備がなされ、翌38年春、工事が完しその両目を一新した。
このような道路変更にともなって町並も変わった、すなわち、因美線の開通以前には、往来筋に民家も建ち並んで「町屋敷」とよばれ繁盛していた旧道筋は、県道路線変更によってさびれていたので、これに沿った民家も次々と新県道沿いの場所へと移動していき、現在のような町並を形成するにいたった。