ただいま6月22日に発生したサーバ障害の影響で一部コンテンツを正常に閲覧できなくなっています。皆様にご迷惑をお掛けして誠に申し訳ございません。

加茂町歴史民俗資料館

zenkei1.jpg

万燈山古墳(2011年8月12日取材)
加茂町塔中にある6世紀末ごろ築造された古墳で、墳丘の直径約24m、片袖式の横穴式石室をもつ円墳である。昭和46年から47年にかけて発掘調査が行なわれた。石室の総長は12.1m(玄室の長さ6.5m、幅m2.1m、高さ2.7m、羨道の長さ5.6m、幅1.8m、高さ2.3m)で奥壁の添って最初の被葬者のものとみられる箱形石棺が安置されていた。この石棺内には3体が合葬されており、他にも2~3体を合葬した陶棺1基および木棺7基の追葬がみられ、合計20体以上が葬られていたものと推測されている。石室の規模は美作地方で最大級のものであり、注目される古墳である。

genkan.jpgtouki.jpg

 加茂町福祉センター内に加茂町歴史民俗資料館があります。      ▲須恵器(万燈山古墳出土)

kan1.jpgkan.jpg

万燈山古墳の陶棺
万燈山古墳は加茂川と倉見川との合流点北西の丘陸先端に築かれた円墳。直径24m、高さ4mで、南に開口する横穴式石室をもつ。石室の長さ12m、高さ2.7mで美作最大の規模を誇る。この陶棺は石室内におかれていたもので、3体を合葬したものと思われる。陶棺は土師質亀甲型で身・蓋ともに2分割され、身には18個の脚をもつ。6世紀後半頃のものである。

kofun2.jpgkofun1.jpg

 万燈山古墳の発掘前                    室尾石生谷口古墳発掘現場

tsubo.jpgdoki1.jpg

▲骨蔵器
骨蔵器は蔵骨器ともいい、火葬にした遺骨を納入した容器である。7世紀の中葉、古墳の築造が終わりをつげたころ、仏教の積極的な導入とともに火葬の風習が広まり、美作地方でも火葬にした遺骨を骨蔵器に納めて埋葬するようになった。骨蔵器には須恵器・土師器製のものや石製・銅製のものなどがある。美作地方で出土しているものは須恵器や土師器製のもので、古墳時代後期の陶棺にならった亀甲形や家形および薬壺形・甕形のものもある。それらは小さな石囲いのなかに埋納されている例も見られる。

doki3.jpgdoki-1.jpg

 弥生土器のかめ                    須恵器のかめ

tatara4.jpgtatara3.jpg

 キナザコ製鉄遺跡(炉内際滓)            キナザコ製鉄遺跡(炉壁の一部)

tatara1.jpgtatara2.jpg

 たたら復元炉
キナザコ製鉄遺跡(黒木)は8世紀中頃たたら遺跡である炉の大きさは内径でタテ40cm、ヨコ60cm、高さ65cmの長方形の炉。炉壁の厚さは約13cmで片面に3つの通風口がある。昔の製鉄方法を「たたら」といい粘土の炉の中に砂鉄を入れ、木炭で溶して鉄をつくった。

tetsu.jpgkin.jpg

 万燈山古墳出土遺物(古墳時代後期)

kin1.jpgmagatama.jpg

 今でも金色に光っています。

 nougu2.jpgusinnga.jpg

 懐かしい農具がいっぱいです。ちなみに向かって右は通称「うしんがー」と言います。

nougu1.jpgnougu3.jpg

 今でも現役で働きそうです。

nougu4.jpgoshikiri.jpg

 ちょっと面白い双子のうすです。 向かって右は押し切りですが、持つところが竹です。

shitsugen.jpgshitsugen1.jpg

 細池湿原には多くの植物が分布しております。

shitsugen.jpgsitsugen1.jpg

細池湿原
本湿原は加茂町五輪原高原の海抜970mにある山頂湿原である。湿原の周囲はスギとカラマツが植林され自然植生のブナ・ミズナラ林は北側の奥まったところにごくわづかに残っているだけである。
湿原内の群落については見事なザゼンソウ群落がみられることを除いて特に取り上げるべき植物はみられない。しかし湿原内に堆積した500cm堆積物は約4万年間の歴史を内蔵しており近畿地方以西の西日本では唯一の貴重な湿原である。

加茂町歴史民俗資料館(加茂町福祉センター内)
岡山県津山市加茂町小中原143
街検索の紹介ページ「加茂町歴史民俗資料館」