津山市田熊の回り舞台から、薪能「田村」
2013年10月26日当日の天気は雨で心配しましたが、舞台が始まるころからは雨もほぼ止んでいました。ここは子どもの頃からいつも行っていた場所でもあり、感慨深いものがありました。薪能「田村」 は吉田篤史さんがシテとして出演。田熊回り舞台
主催:ゆきちゃんのぐりーん倶楽部 代表 小島幸子・共催:津山市田熊町内会
2013年10月26日当日の天気は雨で心配しましたが、舞台が始まるころからは雨もほぼ止んでいました。ここは子どもの頃からいつも行っていた場所でもあり、感慨深いものがありました。薪能「田村」 は吉田篤史さんがシテとして出演。田熊回り舞台
主催:ゆきちゃんのぐりーん倶楽部 代表 小島幸子・共催:津山市田熊町内会
平成25年10月18日(金)19日(土)20日(日)の3日間(津山文化センター展示ホール)
岡山県北、美作地域にゆかりのある工芸系作家さん30名以上が集まり、「作った人の顔と名前が分かる物に囲まれたこころ豊かなくらし」をテーマに、この地域にどんな作家さんがいて、どういうものを作っているのか皆様に知って頂こうというイベントでした。陶芸、木工、絵画、和紙、彫刻、生花、漆芸、ガラスなど。また参加作家による器を使用したカフェもオープンして賑やかでした。
文治2年(1186)美作の守護梶原景時が駿河国(静岡県)の浅間神社の分霊を勧請して、新野東村の二本の老松と大栗のあるところに社殿を造営し、二松花栗大明神祭と唱え、祭神木花咲耶姫命を祀ったといわれています。明治6年、二松神社と改称しました。(「美作神社資料」) (文:勝北町誌より抜粋)2012.10.25取材
下野田字西の宮にある。野田上下の氏神であったが、明治五年氏子を分離して以来下野田の氏神となった。大正十三年『下野田誌』によれば、祭神は誉田別命(応神天皇)、相殿は足仲彦尊(仲哀天皇)・息長帯媛尊(神功皇后)・大鶴鷯尊(仁徳天皇)をまつる。
文治3年(1187)、美作の守護であった梶原景時が豊前国(大分県)宇佐八幡宮の分霊を勧請して本社を創建し、広野荘の総氏神としたという。
「東作誌」は野田・福井・田熊・河面の四か村の氏神であるので四社八幡宮としたと称した、と記している。(勝北町誌・歴史めぐり資料より)2012.10.2取材
十寸神社
楢字宮山にある。祭神は天照大神をまつる。当社創建の時代は明らかではなく、古文献等の伝えられたものがない。(歴史めぐり資料より)2012.12.14取材
『勝加茂村史』によれば、祭神は大山咋之命、相殿に伊那諾之命・素戔鳴命をまつっています。建長四年創建と伝えられ、明治二年に、勝加茂西中(現中村)から安井字宇根に遷座しました。明治五年日吉神社と改め、明治六年に東賀茂神社と改称しました。(勝北町誌より)
天平十年(738)美作守大伴兄磨のとき、豊前国(大分県)字佐八幡宮の分霊を勧請し、上宮八幡宮と唱えたという。祭神は品陀和気命(応神天皇)・大雀命(仁徳天皇)・天御中主命の三神をまつり、相殿に足仲彦命(仲哀天皇)・息長帯比売命(神功皇后)をまつる。(美作神社資料)
2013年10月20日(日)。
大隅神社と高野神社ではあいにくの雨の中、秋祭りが行われていました。
そんな中、徳守祭りも秋祭りを来週に控えて準備が進められています。
この日、今年のお祭りで二十数年ぶりにお目見えとなる「下紺屋町 龍虎臺 」を展示するため雨の中、八子のだんじり保管庫からだんじりの曳き出しが下紺屋町の町内の方と「徳守祭だんじり若頭會」の有志のみなさんによって行われました。
武内神社は上野田字市場にある。「美作神社資料」によれば、祭神は武内宿禰、相殿は誉田別命(応神天皇)という。文化七年(1810)の創建であって、最初は高良大明神と号した。明治五年野田上下の氏神であった西宮八幡宮の氏子を離れたので、八幡神社の祭神の分霊を合祀して、武内神社と唱え上野田の産土神としたという。(勝北町誌・歴史めぐり資料より)2012.10.2取材
新野西下の産土神であり、社伝によれば長暦元年の創立、菅原道真公を祭神とし天満自在天神と唱えられた。明治六年に新野神社として改称して村社に列し、明治九年天満神社と改めた。新野まつりには当社の神輿一体が新野山形稲塚野に神幸し、祭典が終わったのち山形八幡神社から本社の神輿にお鏡餅一重と小餅十二個を苞に入れた「苞餅」が与えられるのが古来からの慣例である。(勝北町誌・歴史めぐり資料より)2012年10月26日取材