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津山城東とうふ茶屋 早瀬豆富店

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 大正時代の建物を活用してお店づくりをされた「津山城東とうふ茶屋 早瀬豆富店」は、2017年度 津山市景観賞 激励賞に輝いたお店です。早瀬豆腐店さんは、津山城東町並み保存地区にあり、しかも、出雲街道沿い荒神曲りの傍にあり解りやすい場所です。
 「美味しい豆富の基本は、美味しい豆乳があってこそ、私たちは、豆富作りに大切な原材料・環境・技術のすべてに、とことんこだわり続けています。」と言われる早瀬豆腐店さんは、創業以来70年間守りつづけた豆富へのこだわりをもつ老舗、豆腐製品製造販売の早瀬食品が運営されています。

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津川ダム公園の紅葉 2018

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 津川ダム公園の紅葉2018年11月7日の様子です。
曇り空ではありましたが、ほんの束の間太陽が顔をだしてくれ無事に紅葉を撮ることが出来ました。今年も山々が五色に染まり雅でした。とても美しいものを独り占めで大きな声で叫びたいくらいでした。先日、附近にお人がおられたので感想をお聞きしたら、「大好きでよく来るんです。」と名古屋や広島、岡山からお出でになったグループさん。また、来てくださいね。

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勝部神社(勝部)の秋祭り2018

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 2018年11月3日真っ青な空の下で執り行われた勝部神社のお祭りを取材してきました。
11月3日は津山市内は最後のお祭りでしょうか、あちらこちらでお祭りが行われています。
 「勝部」というのは、勾玉、玉、鏡など研磨する仕事をさし、一説には様々な職能集団の長(統括者)的役割を担うとも言われています。
「勝」とは、磨くという意味があり。この地域には、そういう職種の人がいた場所であり「五十年程前には、東地区の池付近で水晶を取った事がある。」と言う方も居られ、産出もしていたのではと考えられるそうです。詳しくは勝部神社の取材記事で。

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朝吉神社(上村)の秋祭り

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 2018年11月3日の朝吉(あさよし)神社の秋祭りの様子です。この小さな町内でも若い担ぎ手が育っているようで頼もしいなと感じました。是非、いつまでも続いてほしい風物詩です。
 11月3日は旧勝北町の神社が一斉に秋祭りをする日です。昔はそれぞれ違っていましたが、近年になって同じ日にしようという事になったそうです。すぐ近くでは、昭和52年4月8日、岡山県重要無形民俗文化財として県の指定を受けている新野まつりが同時刻に行われています。また、すぐとなりの西賀茂神社でも秋祭りが行われていました。

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田中角栄書 義民堀内君顕彰碑(下高倉西)

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義人堀内氏 頌歌

一、むかし元禄11年 城下にせまる数千人 半切すがたなわの帯 堀内三郎工先頭に

二、村の苦しみ身に背おい 兼田河原に花と散る 義人の心とこしえに 天にもひびけ仰ぎみよ

三、ああ三百年星うつる 芳烈かおる顕彰碑 わが里人に語りつぐ 正義の誇り心意気

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2018 高野神社の秋祭り

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2018年10月21日(日)に平成最後の「津山祭り」が高野神社にて執り行われました。この日は昨年とはうって変わって晴天に恵まれ、盛大に神事が行われ本当によかった。だんじりもウエストランドに集合した後、高野神社まで行きます。今年は本殿が修復の工事の為、神様は一時御崎神社に遷座されていました。また、今年のだんじりは11臺だったそうです。(だんじりを全部撮ることは出来なくてごめんなさい。)

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2018年 白加美神社の秋祭り

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2018年10月21日、津山市小田中に鎮座する白加美神社の秋祭りが執り行われました。
 地元なので毎年伺っていますが、今年は特に若人がキビキビと舞う獅子舞がとても素晴らしかったです。それに、小学生の笛の音色も可愛かったです。小田中も高齢化率も高くなってきていますので担ぎ手も少なくなっていますが、白加美神社の秋祭りは延々と続いてほしいものです。

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ITで地域が変わる!大人も楽しい、IchigoJamプログラミング体験会 in つやまこうせん

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2018年10月19日、津山高専つやまイノベーションセンターIT研究会主催で「大人も楽しい、IchigoJamプログラミング体験会 iNつやまこうせん」が開催され参加して来ました。
講師の先生は、Presenter:株式会社jig.jp 会長 福野 泰介氏で、内閣官房オープンデータ伝道師です。
 習う前は、ど素人がプログラミングを簡単に組めるものかと半信半疑でしたが、勝手にプログラミングは難しいものと決め込んでいる自分に気づいたことと、素直に言われることを実行して行けばそんなに難しく考える事もないと思いました。先生は教え方がお上手で大人も楽しめました。

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原形遺す"杉さま古墳"

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杉さま古墳は、勝北町杉宮にあり、那岐連山の裾野に開けた勝北盆地の西側をほぼ南北に走る丘陵中央部のあたりに西賀茂神社があり、そのうしろの社叢へ向かって50mほど入った頂上部に3基の古墳が並列して存在する。
 古墳前方には広戸川が流れ、その向こうに水田地帯を見渡す丘陵は、海抜150m、平地との比高差15m、古墳の大きさ直径15m、高さ2m、3基ともほぼ同規模の円墳が南北へ隣接し、原形をよくとどめている。
 杉さま古墳の立地する丘陵上に沿って北に6~7世紀頃と推定される三島古墳、西北に宗四郎古墳、城平古墳が存在し、また南へ約2㎞の地点には平成3年に発掘調査が行われた近長丸山古墳があり、この間を継ぐ線上の中間点に上野田十三塚古墳の跡があって当時の葬送儀礼、古代人の生活の有様を窺うことができる。
 町内には、そのほか竪穴式の古墳や横穴式の石室をもった古墳、方墳など130基あまりが確認されている。
 杉さま古墳は、幾世紀にわたって風雨に晒され、その間において盗掘などによる破壊を免れよく原形を遺している数少ない古墳の一つである。
 およそ6世紀頃のこの地方で稲作を中心として生活した氏族小集団の首長墓ではなかろうかと考えられており、平成4年9月これらの古墳を町の文化財に指定する一方、入口に説明板や案内標識などを立て町民、特に小中学生の生きた教材として利用できるよう整備されている。
 国道53号線、上村バス停で下車し、南へ徒歩で約10分。
(勝北町文化財保護委員・平田安男記)(『平成5年発行:勝北風の里探訪』より)

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天台宗 美作国小桁山極楽寺(小桁)

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極楽寺略縁起
 美作国小桁山極楽寺は天台宗延暦寺の末寺であります。
当山は文徳天皇御宇天安二年(西暦858)、極楽寺の開祖天台宗第二の高祖慈覚大師円仁が西國行脚の砌、当山の民家に止宿せしめたまう。
 覆う事三日三夜、しかる間に雲中に阿弥陀如来光明赫として左右の大士こと光を放ち、此の山の絶頂の影に向いたまいて大師遙拝して不思議かな云々。
 本堂阿弥陀堂は山頂にあり堂跡(堂屋敷)なおあり、山の頂を安養の峯と稱し、北の谷を成仏谷、南の谷は不老谷、山を於桁と云う寺を極楽寺とす。
 本堂の周囲には、観音堂・虚空蔵堂・大子堂・鐘楼・寺坊・十二院、一町東に二王大門あり。
 過ぎし七百年以来の災難で坊舎を失い埋没して、残る所の四ヶ寺は、藤元坊・久保之坊・西之坊・極楽寺であり云々。
         中略
 備前岡山の城主宇喜多直家は、花房助兵衛職秀(もとひで)をして荒神山に城を築かせ職秀城主となる。職秀は日蓮宗の強信者であるため極楽寺の僧豪顕に日蓮宗えの改宗を強く迫ったが、豪顕は可とせず拒否しました。
 職秀怒りて僧豪顕を追放し寺を取壊その用材を持ち帰えりて人馬の住家にと工事は進みましたが、完成を目前にして無風の時にも拘らず倒壊し人馬の多くが損傷する所となる。その後荒神山城は廃城となる豪顕帰えりて一字を営む。
 後法孫円慶帰えりて荒廃した堂を修復す。本堂、千手観世音菩薩をもって本尊となす。脇侍不動附釈迦地蔵、毘沙門、荒神の像を安す。
「美作圀久米南條郡小桁山極楽寺 本尊千手観世音略縁記 住法明院」による。

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