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<古墳時代> いろいろな須恵器

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 市内から出土した須恵器です。日常的に食器として使われる杯から、古墳でしかみかけない提瓶、いわゆる珍品である取手のついた碗や子持ちはそうなど、一口に須恵器といっても用途やかたち、土や焼きの質がさまざまです。
★再発見
 同じ須恵器でも普通使いの品と特別に作った品とでは大きな違いがあります。杯蓋といった普段使いの須恵器では、器の面を整える際に胎土に含まれる小石が動いて出来た凹みをそのままにしていますが、子持ちはそうなど特別に作った須恵器ではそうした凹みがありません。最後まで丁寧に仕上げていたことがうかがえます。

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里山塾「きのこ鑑定会」(神代)

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 久米ロッジ周辺には、古代の蹉跌採集の遺構が残る様に、花崗岩や火山灰に由来する岩石が風化した赤土の上に形成された里山となっていて、燃料が石油・電気に取って代わられるまでは薪炭林としてアカマツやコナラが利用されてきた。
 現在コナラはその頃の名残の地際で複数本に分かれた株が多くみられるが、アカマツはマツ枯れの被害を受け表土の薄い場所以外では散見される程度となり、ソヨゴ等の雑木が茂ってきている。林床は落葉等の腐食が厚く積もった場所も多い。そのため当地で見られるきのこは、コナラ等のブナ科樹木と共生するものが多く観られ、この辺りで食用とされているアミタケやハツタケ等のマツ科樹木と共生するきのこは少ない。
 一方で腐植が増えた事で落葉や落枝を分解するきのこは多く観られ、倒木や切り倒された丸太にはサルノコシカケ類等の木材腐朽性のきのこが観られる。また、湿気が保たれている場所には冬虫夏草の仲間も数種類確認されている。(文:「宿毛山の自然観察」パンフレットより)(2020年10月11日撮影)

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高野本郷の国道53号線沿いに立っている石碑

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 高野本郷に立つ石碑ですが、通るたびに気になっていたので高野公民館の館長にお聞きしたら、「調べてはみたのですが、地区の方にお聞きしても解らなかった。」のだそうです。
 知人に聞いたら「享保5年を調べると、美作地方は作物が不作で8月に入ると、雨が多く田は青できとなり、見入りが心配されている矢先、9月13日(西暦 1720年 10月14日 )には大霜が降り、干害と霜害とにより大凶作となったため10月百姓の多くが津山に嘆願に出かけている。
 享保6年(1721)前年の干害、早冷えで、農作物は収獲皆無の状態になった。これらの凶作と関係があった石碑とも考えられますし、嘆願書を提出すると代表が責任を取らされ処刑されたことかもしれませんね。」とのことでした。(2018年10月24日撮影)

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そよ風に揺られているコスモス畑

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 津山市田熊の田熊橋のたもとに1枚の田んぼがある。決して大きくはないその田んぼにびっしりとコスモスが咲いていた。10月5日のほんの少し前にも通ったがその時はまだつぼみが多かったのが、今日は奇麗に咲き誇っている。那岐山も望めて素敵でした。(撮影:2020年10月5日・11日) 

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吉見・堀坂・綾部の景色と彼岸花

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 2020年10月1日に津山市吉見・堀坂・綾部の景色と彼岸花を見に行ってきました。
私の大好きな景色の一つです。なだらかな坂と、稲刈りの済んだ田んぼの中に咲く鮮やかな赤い彼岸花はとても美しく、何度でも出会いたい景色です。(2016年の彼岸花

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川面に映る彼岸花(下野田)

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 2020年10月2日津山市下野田を流れる広戸川沿いの畔に奇麗に咲いている彼岸花を見つけた。
水面に美しく映る彼岸花はとても風情があり、思わず写真を撮ってきました。ここの川沿いは桜の花も奇麗に咲く所です。また、この彼岸花の咲く場所上流の上野田には「ほたる公園」があります。

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美作の大庄屋巡り「安黒家」

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安黒家 安黒和助 東北条郡大篠村 松平蕃
大庄屋まで
 安黒氏は、赤松氏の家臣であったといわれる。
嘉吉元年(1441)嘉吉の乱によって赤松満祐が滅んだ時、津山の林田に逃れ、安黒姓に変えたという。林田には安黒谷の地名が残っている
 大篠の屋敷跡の南にある台山城城主として尼子氏・浦上氏・毛利氏に従った後帰農した。
 元文5年(1740)安黒和助が大庄屋に任命された。
大庄屋として
 大庄屋としての記録がなく、不明である。安黒豪平は津山藩士広瀬家の養子になり、その子広瀬臺山は、津山藩のお抱え絵師として有名である。臺山は山水画を得意とした

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「再発見☆考古資料展」12月4日まで

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2020年9月7日久しぶりに「津山弥生の里文化財センター」へお伺いしてきました。私の苦手な古代社会の人々の生活を女性の視点で教えていただき、何だか少し古代の人々への関心が増してきました。


☆器台から埴輪へ
 弥生時代の日常の土器である壺・器台が、墳丘墓に置かれる特殊器台・特殊壺を経て、古墳に立てられる埴輪へと変化する過程を模式図で表しました。
 弥生土器の壺・器台と特殊器台・特殊壺との違いは、赤く塗られていること、特殊な文様で飾られていること、そして土器のサイズであることがわかります。
それでは、特殊器台と円筒は埴輪の違いはどこにあるのでしょうか。器台と埴輪の足元に注目すると、器台の足元は大きく外側に張り出していますが、埴輪の足元には張り出しがなく、まっすぐになっています。
この違いは、設置する方法が違うために生じています。器台は地面の上に据え置くので、倒れないように足元をおおきく外側に張り出させます。一方、埴輪は地面の中に埋めて立てるので、埋めやすいように筒状のままにしています。
特殊器台から円筒埴輪へ変化する過渡期に作られた特殊器台形埴輪は、特殊な文様で飾られ、特殊器台の特徴をよく残していますが、足元をみると、張り出さずに筒状のままとなっており、地面に埋めて使われていたことがわかります。

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妙見宮道(宮部下)

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 久米町を走る出雲街道には西の端に追分の道しるべと、東の端には中須賀の石燈籠がある。此の出雲街道は、今の久米町の幹線道路とも言うべき道路であるが、此の道路から分れて、宮部川に沿う道を遡って見ることとする。
 大字中北下を過ぎ、宮部下地内に入ると、中正小学校のすぐ下流、「青木橋」のたもとに「妙見宮道」という道しるべがある。
 妙見宮というのは標高560mの桧ヶ仙の頂上に祀られている北辰妙見宮のことで、桧ヶ仙は、人が宮部の谷を遡る時、右側に見える山並のうち、一番高くよく目につく山で、此の山が久米町の北限かとも思われるけれども、此の山は實は苫田郡鏡野町の地内にある山であり、お宮なのである。

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宮部の里「岡田コレクション」(宮部上)

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 清流と温泉の郷、鏡野町でアートにふれる。と題して2020年9月12日(土)~11月23日(月)まで2nd OKUTSU ART FESTIVALが行われています。その中のExhibition企画展で、津山市宮部上の岡田さんが、「宮部の里 岡田コレクション(コレクション公開)」と題して参加されています。岡田さんのコレクションは多岐にわたりどれも目を見張るものです。かがみの近代美術館の館長から参加しないかとお誘いを受けたのがきっかけで参加されたそうです。「コロナウイルス騒動でどうしようか迷っていたのですが、電話で予約を受けて、一度に2人位なら三密は防げるとお受けしました。」とのこと。展示品は、着物、帯、つづれ織り、油彩画、日本画、陶器、オーディオ等でどれも素晴らしいものばかりです。※お越しの際は事前にお電話をお願いします。(2020年9月20日撮影)

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