頭取 宮城野善平墓(下高倉西字後山)
美作地方は幕末から昭和の初め頃まで、奉納や勧進の草相撲が盛んであった。『作州東部大相撲帳』によると、高倉地区の力士は明治21年から明治末年に29名と記されており、多くの力士が出て活躍していた。頭取(相撲の指導者)宮城野善平の門弟たちが、その功績をたたえ墓碑を建立したものである。(文:高倉の歴史と文化財より)
道のすぐ側にあります。
この墓の裏手の丘に大日如来と古道があり、更に行くと堀内家のお墓があります。
墓碑には、「頭取 宮城野善平墓 門人中 発起人 靏島民蔵 都川宇一 宮錦蜂一 明治二十八年乙未十月建立」とある。
下高倉西地区を案内いただいた、中島さんの畑に隣接した場所に靏島民蔵(中島米蔵二男中島民蔵)の墓がある。(頭取 宮城野善平墓 門人中 発起人の一人)
霧島民蔵の墓
2013.12.11取材