美作の庄屋めぐり「田口家」(下横野)
美作の田口氏=云い伝えによれば蘇我蝙蝠臣の末、田口朝臣房富二十一世の孫田口重如當國苫田郡を領して田野村に瑞雲山を建立す。その子光益、大和國髙市郡を領し、その子左衛門尉光政、小吉野庄を領してて北髙田に城を築く。また、田野邑に田口山引乘寺(正明寺)を建立す。建武以来山名時氏に属して作州を平定し應永二年三月七日卒したり。なお、山名坊菴入道忠政の女(守護代鶴山城に居る)、虎御前は田口薩摩守光政の室なりと伝わる。
光政の一子紀重藤は、天正十七年に備中松山城を攻めて庄蔵人を討伐せし功により、勝南郡南分吉留村を領し、光政の二男忠光は父の跡を継ぎ北髙田に居城す。忠光五世の孫田口彦兵衛光正に至り、大内義興を助け、その子志右衛門尉重光は尼子晴久に属し、天文年中各地に転戦したれど、のち毛利氏に随いて宇喜多勢と戦いたり。その後大蔵甚兵衛尚治と謀りて志戸部の出城を潰滅させたれど、その子藤左衛門益重に至り、天正七年神楽尾落城して宇喜多氏に降りたりという。このほか「東作志」に「勝南郡公文庄重藤邑庄屋田口庄七」記載さる。(文:『田口一族』より)
長屋門を改築、屋根の形は昔と同じだそうです。
長屋門の梁は昔のままだそうです。
母屋の庭です。
昔がしのばれる障子です。 弓矢
代々受け継がれた屏風が綺麗なままで残っています。
狩野派の絵師が描いたものです。
屋敷です。
『田口一族』には全国の田口家が載っています。
田口家の全景です。
お庭のツツジが満開です。
珍しい黄色のツツジです。
どれもこれも可愛いです。
この池には昔コイが泳いでいたそうです。
綺麗なツツジです。 藤の花も満開です。
ツツジの色に思わず見とれてしまいます。
お庭のツツジです。
村が見渡せる高台にあります。(2020年5月6日・8日撮影)