上田邑(地域別/津山市/津山地域)

流通第三公園(上田邑)

ryutu3-kouen9.jpg

 流通第三公園(津山市上田邑2-25)は、津山産業・流通センター内にありますが、津山市と鏡野町の境にあります。すぐお隣は㈱山田養蜂場の工場がある静かな公園ですが、遊具などはありません。また、駐車場には椿の木が植えられており奇麗に咲いていました。(2020年3月20日撮影)

流通第三公園(上田邑)の続きを読む

オーエヌ工業㈱の芝桜が綺麗に咲いていました。

4-14on-shibazakura1.jpg

 2020年4月11日・14日と津山市戸島にある津山産業・流通センター内のオーエヌ工業㈱の法面に植えられている芝桜の様子を見てきました。4月14日にはほぼ満開に近い状態でとても綺麗でした。
 社長の中村 政弘さんから、「最初は芝桜を植えたら綺麗と教えてもらい植えたのですが、2度3度失敗してようやく綺麗に咲くようになった。」と教えていただきました。
 「オーエヌ工業㈱は、ステンレス配管製品の専門メーカーとして長い伝統と実績を誇っています。なかでも主力製品の拡管式管継手『ナイスジョイント』は耐久性、耐震性に優れ、高い信頼を得て国内シェア7割を占めています。また、新規業種・分野での顧客開拓、海外市場への展開など積極的に推し進めています。」とのことです。

オーエヌ工業㈱の芝桜が綺麗に咲いていました。の続きを読む

山名時氏 極楽山安養寺を修す

安養寺1.jpg

 時は室町幕府が出来て間もない南北朝時代、播磨を拠点とする赤松氏と山陰の雄山名氏が美作の国の領有をめぐって争っていた時である。
 正平15年(北朝文和5年 1360)美作の守護赤松貞範は山名時氏を攻撃して篠茸城(久世)、高田城(勝山)、院庄城(津山)、神楽尾城を落とした。その後、神楽尾城は赤松入道世貞が守っていた。

山名時氏 極楽山安養寺を修すの続きを読む

安養寺のタラヨウ

anyouji13.jpg

田邑にある真言宗の極楽山安養寺の庭前にある木で、木の上部は枯損してなくなっている。おそらく落雷か台風の被害を受けたものと思われる。樹幹には直径0.5m、高さ2mの空洞を生じている。
 本寺は南北朝の頃。山名時氏が武運を祈って中興したものと伝えられている。(文:平成5年 津山地方振興局発行 津山の名木百選より抜粋)(2016年8月15日撮影)

安養寺のタラヨウの続きを読む

高野山真言宗 田口山 引乗寺(津山市上田邑)

hiki24.jpg

縁起、本尊の阿弥陀如来は遠く千四百余年の昔、佛教伝来の砌り、百済の聖明王献じた佛像を蘇我蝙蝠の臣に賜いしものと作陽誌等の古文書に記す。蝙蝠の臣蘇我を改 めて田口氏と為し、貞観年中美作の地上田邑に寺院を建立、阿弥陀寺と号す。正平十八年、田口薩摩守光政によって堂宇の修造が加えられ、光政亡き後、姓氏を 以って田口山とし、法名引乗寺殿を以って寺号改む。永禄年間、戦乱の災に本尊阿弥陀如来損傷を被る。故に像現本尊の肚腹内に蔵すと伝う。(美作八十八ヶ所霊場HPより)

高野山真言宗 田口山 引乗寺(津山市上田邑)の続きを読む

真言宗 極楽山 安養寺(津山市上田邑)

anyou25.jpg

作陽誌には、 「當寺清泰院は、上田邑の長継山千年寺の艮に在り、江戸時代の住職快長は、岩竇の中に聖牌を視つけました。牌面には、文治三年(1187)七月七日の文字が刻まれていました。
 昔、赤松入道世貞は、兵を神楽尾城に據りました。山名時氏を撃ち抜き、安養寺で武運の祈祷と亡者の菩提を弔いました。

真言宗 極楽山 安養寺(津山市上田邑)の続きを読む
これより以前の記事