故金谷夫婦顕彰碑(下高倉西)

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故金谷夫妻顕彰碑(2013.2.19)
 金谷雅一氏(1883-1979)は下高倉西の西尾に生れ、明治37年(1904)、新天地での農業に夢を託して渡米し、農業等で苦労するなかで洗礼を受けた。戦後、「福音を郷里に」と、昭和29年(1954)に一時帰郷し、地域の協力も得て、高倉に教会と付属幼児園を開設した。
 昭和36年(1961)に、国から認可されるまでは園の経営を援助し、「高倉ひかり保育園」の基礎を築いた。現在保育園は、高倉地区や近隣からも多くの幼児が入園し、保育や幼児教育に大きな役割を果たしている。

 こうした金谷夫妻の功を称えて、平成17年(2005)、高倉教会と高倉ひかり保育園が園庭内に顕彰碑を建立した。裏面には、夫妻の功績と略歴が記されている。

故金谷夫妻顕彰碑 碑文
 顕彰にあたって
 わが受けし恵みを 人にわかたばや やめるひとにも なやむひとにも
 やみの夜も などかおそれん ひとすじに ふみて進まん キリストの道
「感謝の石-エベネゼル-」より

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 高倉教会・高倉ひかり保育園設立功労者、故金谷雅一氏は戦前渡米、米国にて日本在住の文子姉と結婚、農業等に勤しむ中で様々な困難を経験し求道、夫婦揃って受洗。第二次世界大戦中は収容所生活も経験し、戦後「この福音を郷里に」との信仰に燃えて郷里伝道を志す。第1回郷里伝道の後、主より高倉に新会堂を、との幻を示され、アパート経営で得た財によって高倉に土地と会堂とを献げられた。高倉の方々は感謝され、村を挙げて建設に協力された。このようにして生れた高倉教会は、幼児園も併設し、高倉と周辺町内に住む一人一人の救いのために用いられる宣教の拠点となった。ご夫妻は、高倉教会の指導を岡山聖心教会主任牧師永倉義雄先生に託され、先生ご召天後は第二代の永倉信嗣先生が主任牧師、保育園理事長となって下さり現在に至る。2005年6月15日建立(文:高倉の歴史と文化財より)

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現在の高倉教会・高倉ひかり保育園と園長先生

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結婚50年記念に『感謝の石』を発刊。       1910年代の写真

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1940年代の写真                    1954年代の写真

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1950年代の写真                    1960年代の写真


(写真:感謝の石より)

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