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合併記念碑(下高倉東)

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合併記念碑(下高倉東有重)
 高倉小学校北の道から一段上がった高倉村役場跡の大銀杏の下に、「合併記念碑」が威容を誇っている。高倉村が近隣9か村と津山市に合併した昭和29年(1954)7月から5年を経過した昭和34年(1959)7月に、難波保外16人が発起人となり、合併5周年を記念して建てたと記されている。
合併記念碑 碑文
 和銅弐年備前六郡を割いて美作国を置く 当時より高倉川の流域及び大篠山東西の地域を含めて高倉郷或いは高倉の庄と呼び郡の中部を東西に走る街道に沿う地であった。後久しく封建制度の下に小村が独立して来たが明治22年上高倉下高倉東下高倉西の三村を併せて高倉村となし自治制を布く昭和29年周辺9ヶ村と共に津山市に合併して今日に至る。この間遠くは近平用水路の開鑿近くは土地改良事業など共に高倉の躍進を約束する輝かしい事蹟として特記すべきものがある。茲に合併五周年を記念し有志相謀り旧高倉村役場跡に碑を建て幾多先人の功を偲ぶ資料として更に後人の奮起を期待する次第である。
昭和34年7月1日 難波 保 撰

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昭和29年に津山市と合併した村は、苫田郡の高倉・神庭・高野・高田・一宮・田邑と勝田郡の滝尾・広野・河辺・大崎の10か村である。敗戦後の復興から成長へのあかりが見え始め、時代は農業から工業に移り始めた頃であったが、高倉の特産物は「タニシ」と「ドジョウ」で、姫新線の客車便で阪神地区に送られていた。この土にあった高倉村役場は茅葺きの農家造りで役所の堅苦しさがなく、隣の家に行った感じで転出や転入の手続きをしていたことが懐かしい。
 発起人で碑文を書いた難波保氏は、永年高倉小学校の校長を務めた高倉村最後の村議会議長である。(文:高倉の歴史と文化財より)(写真2017年2月11日撮影)

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現高倉土地改良区事務所(高倉村役場跡)