金比羅様と燈籠(高野山西)

kon4.jpg

金比羅様(2014年7月3日取材)

 山西地区の南の道のそばに、大きな石の燈籠ががあります。その西の丘の上には、金比羅様がおまつりしてあります。

 金比羅様といえば、四国讃岐の金比羅様が本社で、有名なお宮です。各地に、山西にあるような金比羅様がまつられています。この地方では、加茂の金比羅様が有名ですが、広野にも、河辺にもあります。

 金比羅様というのは、旅の神さま、とくに海上交通の守護神です。

では、なぜこの地方に、海に縁の深いお宮があるのでしょう。山西にまつられたのは、江戸時代の中ごろのことのようです。

 今もむかしも、旅は、人生のたのしみのひとつです。でも、いまのように交通機関が発達していなかった時代の旅の苦労は、わたしたちが想像するよりたいへんだったことでしょう。それでも、むかしから、一生にいちどは、お伊勢様におまいりするものだという信仰がありました。

津山地方からお伊勢様まいりをすると、すくなくとも十日間はかかりました。道中、山あり海あり、なんぎな旅でした。お金もそうとうかかりました。そこで、お伊勢講という講をつくり、一年に一人か二人が順番で旅に出たようです。

 旅の出発にあたっては、講仲間がみんな集まって、送別会をひらき、道中の安全をいのったそうです。また、ぶじに帰ったときは、村境まで出むかえて、ぶじの帰りをいわったそうです。道中で見聞きしたことを、おもしろおかしく物語りするのを聞くのも、村の楽しみのひとつでした。

 この地からの旅は、高瀬舟で吉井川を下り、西大寺から瀬戸内海を舟で大阪に行き、そこから陸路お伊勢様まで歩いて行きました。そうしたことから、海上交通の金比羅様をおまつりしたのだと考えられます。

 全員の人がお伊勢詣でを終わった時、講のしくみから考えて、そうとうのお金が残ります。

 送別会、歓迎会の飲食費を使っても、まだ残ったようです。そのお金で、金比羅燈籠を作って、奉納したのだといわれています。

 金比羅様ですから、四国の金比羅まいりではないかという説もあり、ときには、金比羅まいりをした時代もあったのではないかとも考えられます。

※「講」いろいろな目的のために、お金を出し合って助け合うグループのこと。

 「伊勢講」は、お伊勢参りをするために、村人がグループをつくって、お金を出し合い、毎年数人が順番でお参りした。「牛講」もそのひとつである。(参考:文中資料 むかし高野より)2014年7月3日取材

kon1.jpgkon2.jpg

金比羅様への参道

kon6.jpgkon9.jpg

拝殿

kon7.jpgkon11.jpg

拝殿

kon5.jpgkon8.jpg

本殿

kon13.jpgkon14.jpg

苫勝大四十八番霊場 金比羅庵


konpira.jpgtourou1.jpg

燈籠2015.1.23