浮世絵ー役者絵あれこれー
つやまギャラリーⅢ2015年2月1日くらやアートホールにて津山市教育委員会主催の「浮世絵ー役者絵あれこれー」美作出身の医家が収集した浮世絵の中から、歌舞伎役者を描いた「役者絵」を展示。津山初公開のものを中心に選ばれたそうです。
国貞
歌川国貞は江戸後期から幕末にかけて活躍した浮世絵師で、初代歌川豊国の門人です。五渡亭、香蝶楼、一雄斎、浮世又平、不器用又平など数多くの号を使いました。作画期間が長く、膨大な量の作品を残しています。
国貞は後に二代目歌川豊国を称しましたが、実はそれ以前に師豊国の養子であった豊重が二代目を継いでいたので、豊国は三代目に当たります。
国貞の特徴は面長猪首型の美人画にあります。幕末に出版された『江戸寿那古細撰記』では「豊国にかほ(似顔)、国芳むしや(武者)、広重めいしょ(名所)」と評されました。
歌川豊国 歌川豊国
玄随
津山藩医の宇田川玄随は岡山県最初の蘭学者です。岡山県立博物館に玄随の肖像画が所蔵されており、そこには、玄随の容姿について次のように 記されています。「御目は市川荒五郎(市川団蔵)、御鼻は荻野伊三郎(二代目坂東三津五郎に高麗屋(松本幸四郎)を合たる気味合なり。」また、色も白く小 づくりであったといいます。
今回、玄随の胸像と市川団蔵と坂東三津五郎の浮世絵を展示してみました。似ているかどうか見比べてください。
国周
豊原国周は幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師です。豊原周信・歌川国貞に師事しました。一鶯斎、花蝶楼などの号があります。
役者絵を多く描き「役者絵の国周」と呼ばれました。また、後世には「明治の写楽」とも称されています。浮世絵とともに押絵羽子板の原図も描いたいたことから、役者絵の顔貌描写に羽子板絵形式の装飾味を持たせ、美人画にも独特の晴れやかさがあると評されています。
辞世の句は「よの中の 人の似かおもあきたれば ゑむまや鬼の生きうつしせむ」で、画業に対する思い入れが伝わってきます。
豊原国周
戦う
歌舞伎には登場人物が戦う場面がたくさん登場します。
敵討などの戦いが終わって、勝利した主人公が見得を切るところは、どの演目でも一番の見せ場です。したがって、決闘の場面は浮世絵にも多く描かれました。
江戸時代に刀を抜いて斬りあうというと、武士=男性というイメージをお持ちの方も多いと思いますが、実は、歌舞伎の世界では女性も多く戦っています。
江戸時代の女性というと、おしとやかなものと決めつけていましたが、案外そうでもなかったようです。
あわせて、洋学資料館で所蔵する資料のレプリカを展示し、来館された方々に手にとってご覧いただきました。
(文:説明より)