薄田泣菫 文学碑(長法寺)

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 「銀杏よ、汝常盤木の神のめぐみの緑り葉を 霜に誇るに比べては何等自然の健児ぞや・以下略」
 明治10年、倉敷市生。昭和20年没。津山に心ひかれ訪れた泣菫が長法寺の大いちょうを見て創った「公孫樹下にたちて」は詩集「二十五弦」の巻頭を飾る。一年後に発表された「白羊宮」は明治誌史上の絶品と言われている。(文:城下町 津山文学碑めぐり)

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薄田泣菫先生(ススキダキュウキン)本名は淳介
明治十年、岡山県浅口郡連島町に生る(現在倉敷市)毎日新聞学芸部長となる。
記者としてよりも詩人として有名なり
昭和二十年十月生家で其の生涯を閉ぢた。原作は明治三十四年十月三十日、当寺付近を逍遙、大公孫樹を見た時の作、彼二十五才の時なり、詩の全文は三章百行亘る大作なり。

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長法寺はアジサイ寺でも有名です。