おばあちゃんと狐『山西の民話』
今から約百年も前の事です。
田植がはじまって、田植の最中だったのです。家をしめてだれも田んぼで田植をしていました。
おばあさんは一人早く帰って来て、晩ごはんの用意をしていました。だれもいない家の内はシーンとしずまり返っていました。台所でおばあちゃんは、夕御飯の用意をしていました。
そこへ、
「コンバンハ、今晩は」
というんです。今頃めったに来る人はいないんだのにと、おばあちゃんは不思議に思い包丁をおいといて、
「ハイ、どなたですか。」
と表へ出てみましたがだれもいません。不思議に思って、
「私の耳のききそこないか?」
と一人ブツブツ言いながら、又、台所に立って用意をしていました。
ところが又、
「今晩は、今晩は!」
と言うんです。
「ハイ、どなたですか?」
おばあちゃんは手をふきながら出て来ました。
表に出てみても誰もいません。おばあちゃんは、
「確かに誰かが、今晩は!今晩は!と言われたのに?」
ブツブツ言いながら、又、台所へ行って夕御飯の用意をしていました。コトンコトンと包丁で切りながら、その時
又、
「今晩は!」
はっきりきこえました。
「ハイ、ハイ、何の用ですか」
と言いながら表口に出ていきました。
ところが大きな犬の様なものが、台所の「アブラアゲ」をくわえて向うの道を走って逃げているのを見たんです。この時おばあちゃんは、「そうだ狐が、"油揚げ"をとりに来たんだ」と気がつきました。台所にもどってみると台所においていた油揚げがないのに気がついた。ああ、やっぱり狐が油揚げがほしくてとりに来たんだと気がつきました。
「とうとう狐に油揚げをとられた」
と言いました。
山西村(詳しくは旧名苫田郡高野村大字高野山西、現在津山市高野山西)の昔の姿を伝えたい念願から、この稿を起こしたものである。
老人の懐古趣味だと笑うだろうが、私も喜寿の齢ををこして、余命いくばくもなしと思うと、何かしら、山西村の文化遺産が消え去ろうとしている様な錯覚が出て、おしまれる様な気がしてならんので、思い出をつづりました。まだまだあると思うが、一応この辺で打ち切りました。
これらの民話は、私の子どもの頃、祖母が折にふれて物語ってくれた話をもとにして書いたものである。大方の皆さんの御指導と御批判を頂きたいものである。
1985年7月1日著者しるす。故高橋明治(たかはし・あけはる)/明治39年3月22日津山市高野山西生まれ