童子切安綱写し刀お披露目セレモニー

katana-douji3.jpg

童子切安綱(国宝 太刀 伯耆安綱「名物 童子切安綱」東京国立博物館所蔵)
 平安時代に活躍した武将・源頼光が大江山の怪物・酒呑童子の首を切り落としたという伝承を持つ太刀です。作者の安綱は、平安時代に伯耆(現在の鳥取県西部)で活躍した刀工。伯耆は、備前(岡山県)や山城(京都府)のようなメジャーな刀剣産地ではありませんが、良質な鉄の産地であるため、名工・名刀が出ています。その安綱が手掛けた刀剣の最高傑作がこの太刀で、その造形の素晴らしさが、酒呑童子伝説と結び付いたものと考えられます。
 「天下五剣」の一つとして古くから名高く、足利将軍家から豊臣秀吉、徳川家康、そして秀忠へと天下人の手を経て、秀忠の娘・勝姫が松平忠直に輿入れする際に持参し、忠直から光長、宣富へと受け継がれ、津山藩主松平家で長く家宝として伝えられました。戦後、松平家の手を離れ、個人所有を経て、現在は東京国立博物館が所蔵しています。
(ただし、この伝来には異説もあり、小牧・長久手の戦いの後、結城秀康が秀吉の養子となる際に、父家康が餞別として贈ったものとも言われます。)
 この太刀は保存状態が非常に良く、茎の目針穴が一つしかありません。これは、作成当初の姿をほぼ留めているということであり、長く大切にされてきた証しでもあります。
 このように、安綱の最高傑作という美術工芸品としての優れた価値だけでなく、天下人の手を経て津山藩主松平家に伝わったという華麗な由緒来歴を持ち合わせていることから、国宝に指定されています。

katana-douji32.jpgkatana-douji31.jpg

テーブルの上に置かれた童子切安綱写し刀(※写し刀とは、優れた刀を模造して作られた刀)

katana-douji27.jpgkatana-douji5.jpg

製作を担当した刀匠 三上貞直氏(全日本刀匠会 会長)

katana-douji29.jpgkatana-douji25.jpg

童子切安綱写し刀お披露目セレモニー

katana-douji16.jpgkatana-douji17.jpg

製作を担当した刀匠 三上貞直氏が童子切安綱写し刀のお披露目をしました。

katana-douji15.jpgkatana-douji14.jpg

童子切安綱写し刀をお披露目する三上氏

katana-douji20.jpgkatana-douji11.jpg

谷口市長へ刀の引き渡しが行われました。     谷口市長と山田副市長

katana-douji10.jpgkatana-douji8.jpg

有本教育長と三上氏               童子切安綱写し刀

katana-douji6.jpgkatana-douji1.jpg

童子切安綱写し刀

katana-douji4.jpgkatana-douji7.jpg

無事にセレモニーを終えてにっこりする三上氏   津山藩主松平家の先祖・結城秀康ゆかりの甲冑

katana-omote.jpgkatana-ura.jpg

企画展「天華百剣と名刀写し展」では、津山藩主松平家で代々大切に伝えられてきた、結城秀康ゆかりの甲冑も展示公開します。

津山藩主松平家の先祖・結城秀康ゆかりの甲冑(朱漆塗本小札啄木威丸胴具足 個人蔵・津山郷土博物館寄託)
 この甲冑は、津山藩主松平家に伝来したもので、日本の甲冑の諸形式では安土桃山時代に出現する当世具足に分類されます。兜は、ヤクの毛を赤く染めた赤熊で鉢を覆った変わり兜で、このような意匠の兜を「唐の頭」とも言います。胴の本体は、朱漆塗の小札を絹の啄木組(白・萌黄・焦茶)の紐で威してあります。胸板などには、朱漆塗に金の蒔絵で越前松平家の家紋である葵紋と巴紋を交互に配置。各所の金物にも葵紋があしらわれています。胴の草摺と大袖、佩楯は、いずれも紫・白・紅の色々威です。
 各部の特徴から、製作時期は桃山時代末期~江戸時代初期と考えられます。その時期の松平家の当主は、徳川家康の次男・結城秀康とその嫡男・忠直の2代にわたります。松平家の系譜によれば、関ヶ原の戦いの直前、結城秀康は奥州押えの大将として留められ、その際に父・家康から甲冑を拝領していますが、その記述とこの甲冑の特徴が一致しています。よって、秀康が拝領した甲冑そのものか、あるいはそれをモデルとして意識しつつ、徳川一門に準じる高い格式を象徴する品として忠直が作らせたものと考えられます。仮に後者であったとしても、家の先祖の武功を誇り、その武功によって獲得した高い家格を象徴する家宝として作られたものですから、結城秀康ゆかりの甲冑であることには間違いありません。
 いずれにせよ、甲冑の作りは高級の品をふんだんに用いて丁寧に仕上げられていて、高い位の武将の甲冑としてふさわしく、また江戸時代初期にまでさかのぼる大名家の甲冑の残存例は極めて少なく貴重であり、美術工芸品として優れているとともに、歴史資料としても高く評価できるものです。
 3月の津山市の文化財保護委員会の審議にかけて、まずは市の指定文化財とし、令和2年度中に調査報告書を作成したうえで、県指定を目指す予定です。また、江戸時代の甲冑としては、保存状態は良い方ですが、部分的には紐や布地の劣化が激しい個所もあるため、今回の企画展での展示では、完全な形に組み上げることは控え、胴や兜以外はケース内に直置きして並べることとします。将来的には、単に展示のためだけでなく、長期保存を図るためにも、修復を検討していきます。


石田正宗(重要文化財 刀 無銘正宗「名物 石田切込正宗」東京国立博物館所蔵)
 鎌倉時代に活躍した有名な刀匠・正宗が作った刀です。正宗は「相州伝」と称される作風を完成し、多くの弟子を育成しました。もとは太刀として作られたものを切り詰めて短くしたもので、棟や鎬地などに大きな切り込みの跡があることから「切込正宗」、また、戦国武将・石田三成が所持したことから「石田正宗」とも呼ばれています。もともと毛利若狭守が所持していたものを宇喜多秀家が400貫で買い、石田三成に贈ったと言われています。
 関ケ原に戦いの前に、武断派の武将たちの襲撃を受け、家康の仲裁で佐和山城に蟄居となった三成を結城秀康が護送した際、三成はそのお礼としてこの刀を秀康に贈りました。秀康は、この刀を生涯にわたって愛用したそうです。その後、忠直・光長を経て津山藩主松平家に受け継がれ、童子切安綱、稲葉郷とともに三種の宝剣として大切に取り扱われました。戦前、松平家の手を離れ、個人所有を経て、現在は東京国立博物館が所蔵しています。

(文:「童子切安綱写し刀お披露目セレモニー」説明より)(写真:2020年2月18日撮影)