田熊 集落に散在の荒神様、大町・横尾の荒神社

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田熊 集落に散在の荒神様(上の写真は大町荒神社)
 荒神様は、作州の農村では、身近に祀られている神様である。田熊あたりでは、大町、下木(合祀済)、上土居、中土居、後土居(亀割神社)、福井分であるが、隣接している横尾とほとんど小部落ごとに存在している。津山市全体では、かつては数百社以上の荒神様があったであろうと見なされ、当地方で一番多い神様が荒神様と言われている。(岸本佳一氏「津山朝日」H5.7.14)
 下木の磐座に位置している北向き荒神社を除くと、どれもが集落の中ほどか、家と離れていても、数十mの範囲の身近な存在の神様である。その好事例は、大町の荒神社であり、家の近くの、フロに相当する薮の中に小祠で祀られている。横尾の荒神様には、明和2年(1765年)から、天明3年、寛政6年、文化5年、嘉永4年、文久元年、そして明治以降と十数枚の棟札が納めてあり、江戸時代半ばから連綿と続いている荒神信仰が伺われる。
2012年9月9日(日)取材(文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦編著より)

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▲ガマの穂                         ▲案内くださった竹内康晃さんとコロ助
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 荒神様は、・屋敷内に祀る火の神・竈の神としての三宝荒神、・屋外の屋敷神・同族神・村落神としての荒神、・牛馬の守護神としての荒神と多様だが、ここでは、・の十軒前後か、せいぜい数十軒の範囲の村のくらしを守る神様として祀られている。
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大町の荒神様
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 荒神社の本来の祭神は、素盞鳴尊である。乱暴な振る舞いから高天原を追放され、出雲に現れて、ヤマタノオロチを退治し、朝廷の三種の神器となった草薙の剣を手に入れたという神話の神である。やがて、稲作農民にとって、治水、五穀豊穣の神となり、農民の生活をおびやかす毒蛇・害虫・疫病から守ってくれる守護神として崇められるようになった。一方、荒神の神は、その名のとおり、荒魂であり、荒ぶる神の性格をもち、祟りやすい神霊でもあり、地主神としての性質も備えている。日常の暮らしの中で起こる事故や疫病などの不幸は、荒ぶる神、荒神によってもたらされると説き、荒神祭りを行って庶民の不安解消に努めたのは、修験者たちであった。村々に散在している荒神は、修験者の活躍と深く結び付いている。修験者の祀る不動明王の縁日にちなんで、太陰暦最後の27日の宵から28日を祭日として、正月、5月、9月に祭礼行事をするのが多い。
 大正7年の雑社統合令で、田熊八幡宮でも、下木をはじめ他の4社を一時期合祀した記録もあるが、また、元の村々へ分散された。こうした傾向には、荒神様を身近に親しく祀ることで安心立命を得たい農民の願いがあったと言われている。大町などでは、今も出産後の宮参り等においては、八幡様に詣でた後で、荒神様にお参りする風習は続いている。
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横尾の荒神様