
津山の今昔を辿ってみました。(1)

明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。

亀割神社(田熊)

歴史民俗資料館(旧勝北町)

田熊の水田地帯の中ほどに、祇園様が祀られている。構造改善事業で区画整理されている広々とした田んぼの中に、一画だけ2~3の樹木に鳥居と小祠の祭祀場所があるため、遠くからでもすぐ見つけられる。
祇園様といえば、誰しも京都の祇園祭を連想するように、祇園祭を行う八坂神社から、この神様=牛頭天王を勧請したものであることは明らかである。(文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦編著より)2012年8月お涼み
明治33年(1900年)に、どのような動機で祀られるようになったか、はっきりしない。昭和13年の棟札には、戦時色濃厚な時代背景がよく伺える。
棟札の氏子安全や五穀豊穣は一般的だが、夏の疫病の流行や病害虫から身を守ってくれる、いわば厄疫払いが、とくに祇園様の御神徳と言われている。
この祇園祭は、7月7日から14日までの期間、幟や奉納提灯、さらには子どもの描いた絵灯籠を奉納し、夕涼みをかねてお参りする習わしであった。かって は、子ども神輿が繰り出す盛んな時もあった。昨年度より、この期間の日曜日を祭礼日として定めて、中土居の青壮年グループ「昭和会」が準備に当たり、祇園 様の祭礼並びに花火などのいわゆる賑やかし行事を行っている。
(文:広野の歴史散歩より)
(編著者:宮澤靖彦さん)