【津山人】国学者 道家大門(旧津山藩士、万葉調歌人 1830-1890)

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 道家大門(ひろかど)は天保元年(1881、旧暦天保元年11月18日が西暦1831年1月1日にあたる)12月10日津山藩士遠藤浦右衛門正利の四男として生まれた。幼名弥作、のち助十郎、順と名乗った。伯父にあたる同藩津田七太夫文行は藩の料理番を務めていたが、津田家の長男真一郎は学問修行のため廃嫡、次男鉄次郎は早逝したため、従兄弟の大門が養子となって津田家を継いだ。一時期津田弥作儲美と称していたが、津田の本姓が道家であることを知り、文久元年(1861)に道家と改姓した。その後料理番より進み、慶應4年(1868)に御刀番、明治維新後に作事奉行となる。同年藩より国学修行を仰せ付けられ、平田鎮胤(平田篤胤養嗣子)に入門した。

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作楽神社にある石碑               道家大門(ひろかど)

明治2年(1869)津山市院庄に後醍醐天皇・児島高徳を顕彰する霊社の建立を発起、社号を作楽神社とし、4月17日に御造営係に命ぜられた。1月27日の鎮座祭には斉主を務め、以後初代洞官として作楽神社に奉仕した。明治5年大門と改名。明治6年木村常盤麿と洞官を交代したが、同20年再び祠職となった。明治23年12月14日没。享年61歳。(文:博物館だよりNo.35 平成14年7月1日発行より)(2017年9月18日撮影)※作楽神社の取材

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碑文の題字は、後の首相平沼 騏一郎(ひらぬま きいちろう)氏

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この碑は、作楽神社の祠官であった国学者 道家大門(旧津山藩士、万葉調歌人 1830-1890)が、明治初年の廃刀令に悲憤のあまり詠んだ「弓とらず太刀さへはかずなりにけりかがしのまへをゆくもはづかし」という歌を刻んだものである。当社南方の墓域内にあったが、昭和46年に邸宅あとのこの地に移転した。