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玉琳の地名の元となった玉琳塚(津山市川崎字玉琳)

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玉琳(ギョクリン)院智観(チカン)(修験者)の墓である。町名の玉琳も玉琳院の名にちなむ。河内玉琳は諸国を修業した後に美作を訪れ、戸川の宿に住み、鶴山八幡宮を祈念していました。そして、森忠政が入封して城を築き始めたのですが、異変がたびたび発生したため人びとが恐れをなし、神仏に祈るのですが効果がありません。そこで玉琳のことを思い出す人があって、玉琳が「山神安鎮神明納受の祈念」をしたところ八幡宮の八子の地に遷す旨の神勅がありました。

そのことを忠政に報告すると、忠政はたいそう喜んで玉琳には林田郷において宅地を与え、御祈願所としました。

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登りがけ

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玉琳塚の歴史
津山市川崎字玉琳に在り五輪の塔の基石に玉琳院慶長17年子7月19日卒塔婆に文化8年辛末7月19日二百年忌楠氏後裔中井氏建之とあり五輪の高さ七尺にして南向し廻らすに一間四方の石垣を以ってずけだし玉は琳山伏にして、その祖河内国より出ずる楠正成の苗裔なりと云ふ。
林田弓之町に住みし河内玉琳と云う遺言により此の地に葬る。
今の玉琳は字名を伝うるもの之より起こりしものなり。
苫田郡史より玉琳町内会(看板より)

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河内玉琳の肖像画

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(2014年6月23日取材)


玉琳の地名の元となった玉琳塚
○玉琳町内会の解説板にあるように
玉琳の字名は、河内玉琳の塚が祀られていることに由来する。


○河内玉琳とは、江戸時代初めの修験道の山伏であり、河内国出身で南朝の忠臣楠氏ゆかりの法師(祈祷師)と言われている。

○玉琳が津山に回国してきたときは、森忠政による津山城築城の最中であった。築城をめぐる不祥事や家臣の争いが絶えず、その鎮めや安泰を忠政は由緒あるこの玉琳に依頼した。

○玉琳による祈祷・法力がかなったのか、これより争いも鎮まり築城も順調に進展した。忠政は、報いるに東城下に住まわせ、大隅神社と同じく 鎮めの意味で鬼門(艮)の方角にあり、街道筋の分岐点に位置する大田の一部の土地を与えたという。玉琳の法力を見込み、外部からの邪気侵入を防ぎ払う意図かもしれない。(艮=うしとら)

○玉琳が東の城下を一望できる当地を墓所に望んだのは、街道筋城下住民の安泰はもちろん津山城の鎮護の祈りと忠政の恩に報いる思いがあったと思われる。
地元住民は、殿様に認められた霊験あらたかな法師として玉琳をあがめることとなり、慶長17年(1613年)没後当地に塚(五輪塔墓)ができたことから 玉琳の地名由来になった。

○玉琳没後二百年忌が文化8年(1811年)に子孫によって営まれているが、子々孫々地域住民の保護がなければ存続しない。現存は当地域の守り神様として信仰心のたまものといえる。

○ごく最近、地元大田町内会が中心になって いわゆる平成の大改修が行われ、坂道参道 堂前広場 お堂等見違えるようによみがえり、お参りや散策しやすい状況となっている。

(文:美作の歴史を知る会 宮澤靖彦)