玉琳と因幡往来(津山市川崎字玉琳)
玉琳と因幡往来
玉琳という地名は、およそ四百年前の修験者河内玉琳に由来する。
ここ玉琳は。森家の街道整備によって一里塚が設置された場所であり、また、出雲街道から因幡道が、北に分岐する場所でもあった。
そのため、幕末の不穏な情勢の中では、元治元年(1864)城下町周辺の要所八ヶ所に設置された番所のひとつが、ここに設けられていた。(2014年6月23日取材)
玉琳の三叉路付近は、人の出入りの盛んなまさに交通の要衝の地である。
玉琳の三叉路付近
玉琳の三叉路付近
道路標識
この石造物は、いわゆる江戸時代の道路標識=道しるべである。一里塚や道路の分岐点に設置されて旅人の便宜をは かっていた。なお、ここの道しるべは模造のものであり、本物は郷土博物館に保管されている。(文:美作の歴史を知る会 宮澤靖彦)