![行啓道路(津山市山下)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/07/800%E8%A1%8C%E5%95%93%E9%81%93%E8%B7%AF-thumb-120x120-91204.jpg)
行啓道路(津山市山下)
![七五三稲荷大明神、繁守稲荷(鉄砲町)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/06/inari5-thumb-120x120-91728.jpg)
七五三稲荷大明神、繁守稲荷(鉄砲町)
![明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/01/1-thumb-120x120-91748.jpg)
明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。
![2015年2月のイナバ化粧品店](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/02/ten8-thumb-120x120-91764.jpg)
2015年2月のイナバ化粧品店
![小田中田中の荒神様](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/04/22-thumb-120x120-92020.jpg)
玉琳と因幡往来
玉琳という地名は、およそ四百年前の修験者河内玉琳に由来する。
ここ玉琳は。森家の街道整備によって一里塚が設置された場所であり、また、出雲街道から因幡道が、北に分岐する場所でもあった。
そのため、幕末の不穏な情勢の中では、元治元年(1864)城下町周辺の要所八ヶ所に設置された番所のひとつが、ここに設けられていた。(2014年6月23日取材)
玉琳の三叉路付近は、人の出入りの盛んなまさに交通の要衝の地である。
玉琳の三叉路付近
玉琳の三叉路付近
道路標識
この石造物は、いわゆる江戸時代の道路標識=道しるべである。一里塚や道路の分岐点に設置されて旅人の便宜をは かっていた。なお、ここの道しるべは模造のものであり、本物は郷土博物館に保管されている。(文:美作の歴史を知る会 宮澤靖彦)