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大岡家屋敷跡・墓所(池ヶ原)

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大岡熊次郎  1842年5月20日~1920年6月1日(天保13年~大正9年)
 地方政治家、篤農家、郷土史家、勝南郡(現津山市)池ケ原村に生まれる。
 寛政の駕籠訴訟を行った岡伊八郎の孫。明治元年(1968年)徳川親藩のため窮地にたたされた津山藩は、津山城包囲軍の交渉に、岡熊次郎を外事部の肩書で派遣して、津山城は無事開城することになりました。明治21年(1888年)大岡と改姓。
 明治6年(1874年)血税一揆による犯罪者の発生防ぐ。明治7年 北条県会議員。
 明治9年 第八番会議所戸長。明治11年~12年 勝南郡書記として、窮民救済に尽力。
 明治15年 自由民権運動に参加。明治13年~25年連続3期、勝南郡選出の県会議員を務めた。また、養蚕事業や畜産事業や高取小学校や勝間田農林高校(現・勝間田高校)のも貢献。享年79才:大正9年(1920年)6月高取村村葬。(文:『大崎の歴史と文化出雲街道界隈編』より)

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大岡熊次郎と在村蘭方医・仁木永祐
 1843(天保14)年、岡家に生まれた熊次郎は、幕末に津山藩の外交掛として登用されました。明治になると、勝南郡第21区長となり、北条県会議員、勝南郡役所郡書記などを歴任しました。
 1876(明治9)年、北条県と旧岡山県が合併し、溜池の官有化問題が起きます。
この時には、箕作阮甫や宇田川興斎に学んだ籾保の医師・仁木永祐らとともに運動して、民有化を認めさせました。

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 1880(明治13)年には、仁木永祐らと美作同連盟を結成。同会は1882(明治15)年に美作自由党へと発展し、自由民権運動を担いました。
 これらのことから、幕末から明治期にかけては、在村の知識人層が、和算や洋学など様々な知識を得、人的ネットワークを活用しながら活動していたことが窺えるのです。
(文『2013年12月1日津山洋学資料館友の会 第26回史跡見学会資料』より抜粋)(2017年12月2日撮影)

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大岡家の屋敷跡。当時の石垣が残っています。

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大岡家の屋敷跡。

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大岡家の家紋は大変珍しいものだそうです。