おくり狼の話『山西の民話』

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 治郎兵衛は私の家の下男でした。ガッチリした大きな骨格で、とても力がつよくて、よく力自慢をしていました。明治の初め頃でしたか、治郎兵衛の伯父が死んでお葬式がありました。
 何分、母のさとなので、田舎の習慣通り餅をついて重箱に入れて持って行きました。お葬式の日は折悪く友引の日だったので出棺は12時をすぎてでした。お葬式をすまして送り膳にについて一パイよばれて帰途につきました。伯母さんや家の人達が「もう遅いので明朝帰ったら」としきりに止めてくれるのでしたが、明日からの農作業を思うと、一寸でも早く帰りたいと思って、家人のとめてくれるのを押しきって、帰途につきました。十三夜の月が明るかったので提灯も持たずに、近道の山路を越して帰ることにしました。


ところが谷あいの山路はせまくて、道が悪くジメジメして、ともすればすべりそうでした。治郎兵衛はこれは困った、伯母さん達が「大街道を通って帰った方がよいで」と言ってくれた言葉を思い出して後悔しました。明るかった山路も十三夜の月がおちて谷あいの細い道はジメジメしてすべりやすく度々ころがりそうになりました。でも、治郎兵衛は一寸でも早く帰りたいと思って道を急いだ。


その時フトうしろをふり返った。何か二間ほどあとからついて来るのに気がついた。初めのうちは伯母さんのうちの犬だと思っていましたが、なんぼういってもついてくる。こちらが足を早めると犬も足を早める。ゆっくり歩くとゆっくり歩いて、いつも二間位の間隔をあけてついて来る。この時、治郎兵衛はフトおもった。こいつは犬ではなく話に聞いた「おくり狼」ではないかと思った。そう思ったトタン、ブル、ブルとみぶるいがついた。こいつは用心しなくてはいけない。「ころんだら、すぐとびかかって食うてしまう」と教えてくれた言葉を思い出してキョートウてキョートウてならず、からだがガタガタふるえた。


伯母さんが御馳走を入れてくれた重箱が重たくて肩にくいこんで来る様な気がする。丁度山のはざまに通りかかって、道かどに岩がのぞいていて、腰をかけるのに都合がよかったので思い切って一休みすることにした。夜の露が落ちたためか、何かぬめりとして気持ちが悪かった。肩の重箱をおろしてヤレヤレと一いきついた。後ろをふり返ってみると、狼はやっぱりついて来ている。五、六間むこうで休んでいる。やせた犬の様な奴で、口が大きく耳までわれている。やっぱり「おくり狼」にちがいない。そこで思いついた。重箱のご馳走をやってみようと思って急いで重箱を引きよせて中からまきずしをを出して、狼のところへ投げてやった。


狼は一向に食おうともせず、こちらを向いてジッと見つめている。犬ならすぐに食うのになあと思った。やっぱり狼だ。そこで治郎兵衛は元気を出していった。「狼さんありがとう。よう見送ってくれた。もう大丈夫だ。一人で帰れるけん、お前もいんでくれい。もしもわしの体がほしいんなら、わしが死んだ時やろう」と言った。そして立ちあがった。どこかで一番鶏がなくのがきこえた。ああ、もう朝も近い、と思うと足が軽かった。なんぼうか歩いて山西のはずれまできた。フトふり返って見たら、今迄あとをついて来てはなれなかった狼がいなくなった。
やれやれ助かったと思って走る様にして家に帰りついた。


家について戸をたたくと女房が出てきた。
「遅かったなあ...どうしんさったかと心配でねれなんだ」と言う。
「あんた、どうしんさった。真青な顔をしとりんさるがな」と言うんです。
治郎兵衛が一部始終を話すと、
「そうか、キョートかったなぁ」としみじみと同情してくれた。すぐに寝床に入ったが、途中のことが思い出されて、中々寝つかれなかった。
それから七年後、治郎兵衛が重病で死に近い日「狼がくる」「狼があとをつけてくる」とうわごとを何度も何度も言うんです。治郎兵衛の死んだ日も友引でした。12時すぎから大夕立があり、講仲間のものが座棺をかついで、西浦の墓地にかついで行って埋めた。
翌日、親類の者が行ってみたら、墓場に大きな穴があいていた。みんなが治郎兵衛がおくり狼と約束した通り、狼がきて食ったんだなあと、ふるえ上ったという。


山西村(詳しくは旧名苫田郡高野村大字高野山西、現在津山市高野山西)の昔の姿を伝えたい念願から、この稿を起こしたものである。
 老人の懐古趣味だと笑うだろうが、私も喜寿の齢ををこして、余命いくばくもなしと思うと、何かしら、山西村の文化遺産が消え去ろうとしている様な錯覚が出て、おしまれる様な気がしてならんので、思い出をつづりました。まだまだあると思うが、一応この辺で打ち切りました。
 これらの民話は、私の子どもの頃、祖母が折にふれて物語ってくれた話をもとにして書いたものである。大方の皆さんの御指導と御批判を頂きたいものである。          
1985年7月1日著者しるす。故高橋明治(たかはし・あけはる)/明治39年3月22日津山市高野山西生まれ