飯山狐の話『山西の民話』

kitsune-iizuka.jpg

 昔のことである。飯綱から飯山、加茂-物見-因幡にぬける道を「因幡街道(加茂街道)」といって、津山から因幡にぬける重要な道筋であった。御維新にならない前の頃だった。この街道を津山から加茂へ帰ろうと急いでいる一人の馬子がいた。道は夏目池の裏側を通って飯山の六本松のある観音様の所へ通りかかった。フト観音様のお堂のかげから女の人が出て来た。馬子はこんなにおそく観音様から若い女の人が出るなんて、と不思議に思った。 
 女の人は若い美しい娘だった。


「馬子さん、どこへいにんさるん。○は加茂まで行こうと思って急いで来たが、日が暮れて困ってしまいました。もし馬子さんが加茂に帰りんさるんならつれにして下さい」
やさしい声でいうんです。馬子はここらにはよう狐が出て人をだますときいていたのでひょっとしたら狐かもしれんと思って、そっと尻をつねってみたが「イタイ」と思ったので、まだ、まだ、だまされとりゃせん、と思った。
「そんならわしも加茂へいぬるけんつれのうていのうや」といった。
「おねえさん、淋しいけん、手をつないで行こうや」といった。
娘の子は素直に手を出してきたので、狐だったらつかまえて逃しゃせんぞ。馬子は心にきめたいた。
いろいろな話をしながら歩いていったが、娘は時々へんなことを言うんです。
馬子はこいつ、やっぱり狐じゃと思ってかたく、かたく手を握ってはなすもんかと思った。


なんぼう時間がたったかわからんが、もう飯山を抜けてもいいと思うのに、一向にこせません。そのうち娘の子がもじもじしだした。
「馬子さん、一寸と手をはなしてくれんさい」といった。
馬子はかたく手を握りしめて、「まあ、ええがな。こうして加茂まで行こうや」といった。
それでも一寸と手をはなしてくれんさい。というのです。
馬子は「まあ、ええがな。はなしたら、あんたにげんさるけん」というと、
「にげりゃせんけん、一寸手をかえてくれんさい。おしっこがでとうてこたえんけん」というんです。
馬子はこれには困って、
「そんなら手をにぎりかえてあげるけん、おしっこしんさい」といって代りの手をにぎりしめた。


娘の子は「ジョー、ジョー、ジョー」といつまでたってもおしっこをやめんのです。
馬子は「もうええか?」といったが一向に返事がなく、
ただおしっこの音が「ジョー」「ジョー」「ジョゥー」「ジョゥー」とつづくだけでした。
その時「フト」肩をたたくものがあるので、びっくりしてみると、村人がそばに来ているんです。
村人は
「馬子さん、何うしとるんなら」というのです。
馬子は
「狐をつかまえとるけん、みんな手伝いをしてくれんさい」といった。
村人たちはゲラ、ゲラと笑うんです。そして、
「馬子さん、狐にだまされたな。あんたの握っとるものは樋の口じゃがな。そいで"ジョゥー、ジョゥー、"というんじゃがな」
馬子はびっくりして、あたりを見ると夜が明けて明るくなっている。
狐の手だと思ってかたく握っていたのは、いつのまにか樋の口だった。
まんまと狐にだまされた、口惜しい!!口惜しいと思ったがあとの祭りだ。
「ようし、よくもだましやがったな、こんど会うたら、ブチ殺してやるけん」腹がたって仕方がなかった。


暑い夏がすぎて、すずしい秋が来た。月のある晩だった。
馬子は馬を引いて因幡街道を加茂へ向けて帰っていた。
夏目池をこして例の六本松の観音様のお堂の所を通りかかった。
その時、お堂のかげから別嬪が出て来て、
「馬子さん、私は加茂へかえろうと思ったが足がいたいし、日がくれて難渋している。
幸い丁度よい所にあなたが来かかった。馬にのしてくれんさい」というんです。
馬子は一寸とおかしいと思った。この間、ここで狐にうまいことだまされた。
その時も若い娘だった。『今夜も又別嬪さんだ。今夜こそだまされはせんぞゥ』と心にいいきかせて、馬子はいった。
「サア、サア乗ってくれんさい。わしも一人で馬をひいていぬるより、お客さんをのせていぬる方がよいけんなぁ。さあさあ乗ってくれんさい」といって別嬪を馬に乗せてやった。

umanose.jpg
「おねえさん、わしの馬はよくあばれるけん落ちん様にしてあげるけんなあ」といって手綱をほどいて、別嬪の体をぐるぐると鞍にしばりつけてやった。これにはさすがの狐も横生したらしい。狐の別嬪を鞍にしばりつけて馬子は悠々と我が家へ帰っていった。
そして風呂の下をたいていた女房に 
「オイ、お客さんをつれのうて来たけん御馳走をしてあげてくれい」といった。
女房はおどろいて、目をパチクリさせながら、初めてのことでもみ手をしながら
「あんた、うちは貧乏なことはよく知っとるんじゃがな、お客さんをよんできても何のご馳走が出来りゃ」といった。
馬子は
「御馳走はなー、何でもないんだ。風呂の下で火箸をようやいといて、この別嬪にあててやるんじゃ」といった。
別嬪にばけた狐は全く横生してしまって
「ワーン、ワーン」と泣き出した。
「助けて下さい。お助け下さい」泣き泣きいうんです。 
女房が気の毒がり、悪いことをした狐でもあんなに涙を流してことわりをしとる、
可愛想じぁないか、逃がしておやりなさい。というんです。馬子も生来やさしい善人でした。


狐が涙をながしながら哀願すると、ツイホロリとなって助けてやる気になった。そうして、
「もう人をだます様なことはせんことだ。もしも又、今後も人をだます様なことがあれば、もっとひどい目にあわせてやるぞ」と縄をほどいてやった。
狐は三拝、九拝して暗がりの中に消えて行った。


山西村(詳しくは旧名苫田郡高野村大字高野山西、現在津山市高野山西)の昔の姿を伝えたい念願から、この稿を起こしたものである。
 老人の懐古趣味だと笑うだろうが、私も喜寿の齢ををこして、余命いくばくもなしと思うと、何かしら、山西村の文化遺産が消え去ろうとしている様な錯覚が出て、おしまれる様な気がしてならんので、思い出をつづりました。まだまだあると思うが、一応この辺で打ち切りました。
 これらの民話は、私の子どもの頃、祖母が折にふれて物語ってくれた話をもとにして書いたものである。大方の皆さんの御指導と御批判を頂きたいものである。          
1985年7月1日著者しるす。故高橋明治(たかはし・あけはる)/明治39年3月22日津山市高野山西生まれ