光井家の先祖まつり2018

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河面地域で、ある老婆と話をしていると、次の旨の話を聞くことができた。
「私ら光井姓を名乗る一族は、上原の先祖の社をお祀りしている。
 年に一度、秋には先祖祭りとして、親類縁者の光井株が皆集まって近長の大夫(神主)に拝んでもらった後、その場所でにぎやかに会食する。神様として"武内」さん"を祀っている。」後日、近くの老人に案内してもらった。上原集落に近い丘陵に、屋敷森か古い塚(古墳)を思わせるこんもりとした林があって、鳥居や境内をもつ先祖社が祀られていることが分かった。
 古代から氏神信仰は、一族で先祖を祀る社をもち、「予祝祭」(よわいまつり)として春、「収穫祭」としての秋にお祭りを行い、一族みんなでの共同飲食をする習わしがあった。(岡山県史古代2)これは、それを今にしてうかがえる氏神信仰の珍しい社である。
 光井家については、「森家以来の大農にして、旧家たり。相伝う、光井氏は当国神楽尾城主田中修理大夫某の子、光井大夫を以って始祖とす。その子孫毛利家に仕ふ。毛利背下の周防国住人光井右京亮の裔(えい)という。」(東作誌)とある。先祖は周防地方(山口県)の同姓の多い光の出自とのことである。市内にある神楽尾城や医王山城は、毛利配下の城であり、光井家は先祖が毛利家としてかかわるだけに、光井一族の信仰が注目される。

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 社神の"武内さん"とは、武内大明神、すなわち武内宿禰を神とし崇(あが)めている。祭神の武内宿禰は、5世紀、応仁天皇(八幡の主神)の母である神功皇后が、新羅・百済を服属させるため軍を率いて九州に赴いたとき、これを補佐した武将として名高く、また、歴代の大和朝廷を支えた忠誠の範となる大臣として記紀に記録されている。
祭神として福岡の香椎宮などに神功皇后の相殿として祀られたりしているが、とくに、福岡・久留米の高良大社の主神として祭られ、作州にも幾つかの関係神社の神となっている。民間信仰としては、武運長久、延命長寿、厄除けの信仰対象となって崇(あが)められ、各地の神社に普及している。
 瀬戸内沿岸の周防灘に位置している光地方での光井家由来の信仰か、当地近隣における神社の影響を受けての信仰か、今では子孫の方も判然としていないという。(文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦 編著より)

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板札を奉納                    お祓いを受ける

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榊を捧げる                   滞りなく終了

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お酒で乾杯                   なごやかに歓談

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各自が持参したお弁当を食べる          最後に全員で記念撮影(2018年11月25日撮影)