リオン(利音)柿の話 リオンさんの柿はなぜ渋い『山西の民話』

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 昔、私の家の近くの藪の中に、貧しい「サンド」の家があった。その家の裏に大きな柿の木があった。その下に小さな祠が今でも残っている。この祠と柿の木にまつわる話です。


 その昔、サンドの家の息子にリオン(利音)という変わった名前のいやしからぬ姿をした若者がいた。人の噂では、サンドが京へのぼった時、ある高貴な家の落し子をたのまれて連れて帰って育てたのだという。田舎者の目にはとてもハンサムな若者で、当然山西の若い娘たちの噂の種になったのも無理はない話である。分現者(ぶげんしゃ)の一人娘「お小夜」は深く心を寄せて、何かにつけて「リオンさん」「リオンさん」というようになった。いつの間にか二人は深い恋仲になっていた。娘は長者の一人娘、利音は貧しきサンドの子ーとうてい許される仲ではなかった。二人は思案の末、村芝居のある夜駆け落ちをして姿を消した。


 それから約一ヵ月、長者は一人娘を探し求めて八方手をつくしたかいあって、姫路の安宿で暮らしている二人を見つけて連れもどした。生木を裂かれて、利音はサンドの貧しい家に、お小夜は長者の館に押し込められて暮らさなければならなかった。冬が来て吹雪の晩、お小夜は思い悩んだあげく、家人のすきを見て利音の家を訪ねた。裏口からそっと利音を呼び出し「リオンさん、もう一ぺん私を連れて逃げてください」と一生懸命に口説いたが、利音の心は変わっていた。お小夜は「男心と秋の空」うって変わった心をどんなにか悲しく思ったことでしょう。もう家にはもどれない。命をかけて出た上はリオンのそばで死んでしまいたいと決心した。


 「リオンさん、この世とはこんなはかないもの、私と一緒に死んでください」と必死になって頼んだが、利音の心は冷たく冷えきっていた。悲しみの極、お小夜はその夜恋しい利音の名を呼びながら、柿の木に首をつって自らの命を絶った。それからは、寒い北風の吹くたびに柿の木は枝をふるわせて「リオン、リオン」と恋しい男の名を呼ぶんです。という祖母の話。


山西村(詳しくは旧名苫田郡高野村大字高野山西、現在津山市高野山西)の昔の姿を伝えたい念願から、この稿を起こしたものである。
 老人の懐古趣味だと笑うだろうが、私も喜寿の齢ををこして、余命いくばくもなしと思うと、何かしら、山西村の文化遺産が消え去ろうとしている様な錯覚が出て、おしまれる様な気がしてならんので、思い出をつづりました。まだまだあると思うが、一応この辺で打ち切りました。
 これらの民話は、私の子どもの頃、祖母が折にふれて物語ってくれた話をもとにして書いたものである。大方の皆さんの御指導と御批判を頂きたいものである。          
1985年7月1日著者しるす。故高橋明治(たかはし・あけはる)/明治39年3月22日津山市高野山西生まれ