大熊家 長屋門が復元されました。

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 大熊家屋敷跡(現津山朝日新聞社)の門が復元された。先日掲載された記事では1700年代としていたが、津山松平藩の初代家老・大熊六左衛門がここの住人になったのは1710年以降であり、それまで城内京橋門西にあった屋敷を新御殿造営に伴い転居。新築もしくは森藩時代から1世紀を経た建物を修理したと考えられる。それから約300年。明治以後150年余りの間に改修されるなどし、新聞社の業務にも使用されていた門の長屋部分は高度成長期、老朽化で取り壊された。
宝永・正徳年間(1704~13)の城下町絵図によると、大熊屋敷は現在の津山朝日新聞社に加え、土肥酒店から小野病院も含む広大な敷地を有していた。(文:津山朝日新聞2020年3月17日大熊屋敷の門復元に寄せて得能良平記事より一部抜粋)

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新しくなった大熊家 長屋門(2020年3月19日撮影)

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大熊家 長屋門跡
 大熊家の屋敷は、田町の東端、津山城田町門に面して位置していました。田町地区の一般的な武家屋敷地の四倍以上の敷地を持つ広大な屋敷でした。残念ながら建物は残っていませんが、城下町でも最大規模の長屋門の柱と門扉の一部が残り、全盛期の繁栄を忍ばせます。津山市

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2009年9月7日に撮影した大熊屋敷の復元前の門

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2009年9月7日に撮影した大熊屋敷の復元前の門

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2009年9月7日歴史探訪

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大熊屋敷の長屋門

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左に写っているのが得能氏(大熊屋敷の前)    大熊屋敷の対面にあった嘗ての得能家

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大熊屋敷                    下の方に屋敷跡がみえます。

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大熊屋敷跡周辺                 長屋門西半分の屋根

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(写真提供:得能良平氏)