在りし日の田渕家住宅(旧永田家住宅)

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津山城下の武家地であった田町地区の南西部に位置する旧田淵邸の長屋門です。
 規模は桁行14.82m、梁間3.96mで、門扉は西に寄せられており、外観は漆喰塗で、街路に面した南側は下見板張、切妻屋根桟瓦葺きの建物です。
 建築時期は、天保11年(1840)に田淵守助がこの屋敷を拝領した頃と推定されます。
その頃の田淵家の実禄は50石で、料理人から、郡代・町奉行・勘定奉行・祐筆・槍術指南役などを勤めました。
 田淵家が拝領する以前のこの屋敷には、津山藩儒官の永田敬蔵が居住していました。
 学問修行中の箕作阮甫は医術修行で上京する前、永田家にしばらく寄寓していたという記録があり、その場所がこの屋敷であれば、津山洋学ゆかりの地でもあります。
平成27年3月 津山市(2016年7月23日撮影)(文:案内板より)

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新しくなった長屋門(2016年8月7日撮影)


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 この住宅は江戸期は武家屋敷でした、1840年に田渕守助が屋敷を拝領し大規模な修理を行いました。
長屋門は明治期に西側部分が増改築されています。主屋は東南角の三畳が土間の玄関に、竈からキャビネットへ、便所・浴室を改築などの改変はありますが、旧来の状態がよく残っています。
 江戸後期の津山藩の大規模な武家屋敷の遺構です。また長屋門・主屋の東部分は架構などが残り、建築年代は1603~1726年と推測されます。田渕寅夫は1862年槍術師役になり主屋の畳廊下には槍掛けが残っています。この屋敷は田渕家が入る前は永田家が拝領し永田家は代々儒者でした。
 永田桐隠は箕作阮甫の師で、一時期阮甫は母とこの屋敷に起居し漢学を学びました。そして京都に医学ぶためこの屋敷から旅立ちました。このような歴史が多く残っていることが一番の特徴です。(松岡久夫「私が見つけた文化財」より)

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母屋外観

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居間

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1996年              1852年             1842年

上記資料・写真提供:松岡一夫さん


以下旧田渕邸(2016年7月23日撮影)

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解体直前の田渕邸

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解体直前の田渕邸

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解体直前の田渕邸

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解体直前の田渕邸


解体が終わった田渕邸の母屋(2016年8月7日撮影)

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2016年8月7日撮影


その後、2017年4月27日に「津山城下町歴史館」がオープンしました。
その中に、旧田渕邸の事が詳しく説明されていますので、是非、ご覧ください。

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江戸時代の武家屋敷だった旧田淵邸を活用した「津山城下町歴史館」