上高倉神社跡と荒神様(上高倉字美土路)

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 西谷集落入口十字路の西の山際に上高倉神社の跡地がある。
 「村社 上高倉神社遺跡」と記された碑が建っていて、碑の裏面には「嘉祥二年仁明天皇之御宇に素盞鳴命をこの地に祀り奉る 尓来連綿一千有余年におよぶ 明治四十五年五月下高倉にある杉森下高倉神社に合祀 而して後高倉神社と改称」と刻まれている。

 嘉祥2年(849)に建立されたこのお宮は、東作誌に「午頭天王 美土路にあり 氏神也」「本社1間四方東向き 拝殿2間.2間半 木鳥居 社地3反許」と記されていることから、古くは素盞鳴命の別称である「午頭天王」と呼ばれていたものと思われる。
 上高倉村の氏神様として崇められていたが、明治22年に下高倉東・西村と合併して高倉村となった後、神社の規模と経営の改善を図るために岡山県が進めた1村1神社の方針に従い、各地の神社と共に杉森神社に合祀され、神社名を高倉神社と改めた。
  跡地に平成17年に建てられた社屋には、石造りの荒神社大小2社と焼物の荒神社が祀られている。この荒神社は医王寺と安原から福安に遷座していた社を移し たもので、中央の荒神社は西谷中組合の氏神、左右の2社は個人宅の氏神である。西谷中組合が管理し7月に夏祭り、10月に秋祭りを執り行っている。(2013.6.14取材)(文:高倉の歴史と文化財より)

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上高倉神社跡の石碑                 荒神様

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上高倉神社跡の石碑                 荒神様

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荒神様の前の灯篭

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上高倉神社跡の狛犬