熊毛槍

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岡山県指定重要文化財
熊毛槍
江戸時代後期
 言うまでもなく槍は兵器であり、戦国時代までは装飾の少ない実用本位のものが用いられたと思われるが、徳川将軍家を頂点とする幕藩体制が確立して戦乱が途絶えると、武芸としての槍術鍛錬以外には使う機会がなくなり、その持ち主である武士の身分・格式を表す標識・象徴とみなされ、見せるものへと変化して装飾化が進行、同時に槍の本数や行列中での位置の差異などによる家格の序列化も行われるに至った。槍を立てて持ち歩く場合、最も高い地位にあってよく目立つのが鞘であるが、特に諸大名は趣向を凝らした鞘を作らせ、公式の外出時には行列に加えて高々と誇らしげに掲げたたのである。2014.7.31取材

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 熊毛槍とは、その名の通り、鞘の装飾に熊の毛を用いたものであり、大きさも形も多種多様なものがあるけれども、ここに並んでいるものほど大きくて重いも のは珍しいであろう。この槍は津山松平藩の目印とされていたもので、江戸で藩主が出掛ける際には乗物のすぐ後ろにこの槍がそびえていた。黒は藩主、白はそ の嫡子が用いたものらしい。

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 現在、槍の身は外して別に保管しているが、それらに文化12年(1815)・天保15年(1844)・
弘化 4年(1847)の銘が刻まれており、柄・鞘も恐らく同時期に作成されたと考えられる。重量は柄・鞘の合計で約15㎏もあるが、藩主の入国行列を描いた図 を見ると、他の槍と同様に片手で支えられている。ただし、他の槍が2人交替で持っていたのに対して、この槍は3人交替とされていたようである。

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藩主の入国行列を描いた図

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ふわふわです。

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一人で持つにはとても大きい。

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 津山藩主の江戸への参勤は、この図のような経路が多く利用されました。全行程はおよそ184里(約736㎞)。
 片道の所要日数は16泊17日が基本ですが、大井川などの川留めによって、20日以上かかる場合もありました。(1本の長さは約3m、重さは約15kgもあります。)
 滞りなく17日で到着した場合、平均で1日40㎞余り進んだことになり、人の歩く速さを時速4㎞とすると、1日に10時間以上歩く計算になります。(文:津山郷土博物館より)2014.7.31取材


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