正守の土居家のお墓(下田邑)

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 土居氏は河野氏から分かれた豪族で、河野水軍の系統をひき、伊予の国から西瀬戸内海では相当な力を持った勢力であったようである。南北朝期には南朝方に与して、後醍醐天皇から綸旨がくるまでの力を持っていたようである。その後も地頭領主級の豪族であった。それは河野水軍から出た村上水軍、河野氏から出た土居・得能両氏が力を合わせたことにもよると思われる。婚姻関係を見ても、それぞれ山城の城主、地頭級の家と結ばれ、中には権大納言の息女と結ばれている。311年間続いた土居氏も、長曾我部氏の四国統一、秀吉の四国攻めによって潰されていった。毛利氏を頼って神楽尾城まできたのが、土居の一族である。(文:『美作の中世山城神楽尾』より)
(2014年5月7日撮影)

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土居家のお墓を案内していただきました。

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土居家のお墓

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土居家六郎右衛門正重夫婦のお墓