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広野小 井上周平先生の頌徳碑

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広野小 井上周平先生の頌徳碑(2012年1月9日・14日)
 広野小学校正門のそばに、松本譲(ゆずる)先生の頌徳碑(しょうとくひ)と並んで井上周平先生の頌徳碑が建てられている。戦後の混乱をようやく抜け出した昭和31年(1956年)に建立された。
 高さ3.6m、近辺では珍しい青石の立派な碑石に、82歳河内貞介謹書とある。裏面の碑文には小原貞次撰文・頼本孟書とある。文字・文は、いずれも広野村の当時ゆかりの教育者であった人達の手によるものである。

 井上周平先生は、慶応2年(1866年)出生、地元福井の出身であり、広野小の前身である明知小学校の卒業生であった。碑文には、大阪府の山本塾にて漢学等を学んだ後、明見・致志(広戸村)の小学校を経て、明治23年(1890年)出身校に出身校に勤務したとある。
 松本譲校長先生退職後の3ヶ年間は、2代目校長役で経営に当たるなど務められ、太正12年(1923年)勇退されるまでの期間、実に33年間、広野小学校の重鎮として多くの学童を育てられた。戦前の広野小学校の校歌も、この井上先生の創作であった。(文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦 編著より)

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広野小創立100周年記念誌「同窓会名簿」によると、
「今でも脳裏に残っていることは、学校とは名ばかりの藁(わら)ぶき屋根の一室で、松本先生や井上先生に学んだこと。」(明治29年度卒業 滋沢舜応)
「先生は、松本先生、井上先生の2人で4クラスを受け持たれましたので、各学年は交代で勉強しました。」(明治32年卒業 鳥越康代)
「卒業間近いある日の放課後、見廻りに来られた井上周平先生が、黒板に麦の一字を大書して、『君達も麦になれ。』と言われた。その意味が判らず、以後解明につとめ、漸(ようや)くに真意を解し、今も心の座右の銘としている次第です。偉大な教育者、井上先生を想うことしきりである。」(大正8年卒業 吉田熊夫)...とある。
ある老翁によると、自分は学童期に父を亡くしたが、井上先生に、こんこんと慰められ励まされ、立ち直ったと感謝の念で、この碑の建立(こんりゅう)にかかわったと言う。
井上先生は、昭和20年(1945年)79歳で他界されたが、まさに碑文どおり資性温厚、誠実にして人情味厚い人柄であったようで、多くの教え子や村人に慕われたことがよくわかる。
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 なお、この頌徳碑は、敗戦の苦杯・人心の混乱のなか、先生の遺徳をしのび、志操堅実(しそうけんじつ)なることを以て、国家再興を願い建立されている。戦後の復興にかける精神を、象徴する記念碑でもあるといえよう。(文:広野の歴史散歩 宮澤靖彦 編著より)
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(▲写真提供:広野小学校)